■『六甲伝」② 六甲伝―未来高下の考え方― | 【極上の相場格言】― カネがなくても知恵がある!―

■『六甲伝」② 六甲伝―未来高下の考え方―

■先ず踏み出しから…

売買は踏み出しつまり仕掛けが大切である。出発点が悪いと手違いになることが多い。また商いを決して急いではならぬ。売買とも思いついてから、仕掛け三日待つ事。これが伝である。相場の節と通いを考え、天井か底かの位取りをも研究して徐々に売買すること。底値の出ないときは幾月でも見送ること。肚に据わったところからしかけるところから仕掛けることである。見送るのは底か天井かを見極めるためである。踏み出しが大切というのは考えの外のこと。つまり不時の材料が出ることがあるかもしれないからである。                                                                         


■人気の逆を考える…

相場が日々安値をつけ、この上どこまで下げるか判らぬという人気となり、自分も弱く、一般も総弱気となって売り込む時は心を転じて買い方にまわる事。こうした時、すべて自分の考え通りになるのならば相場の道は簡単であるが、皮肉にも人気が片寄る時は逆行するものである。                                                          


■行過ぎの反動…

天井売らず、底買わず、これ心得の一つ。上げる時の天井、下げる時の底は判らぬものである。上げ下げとも天井不知、底不知の人気となり高値飛びつき、安値突っ込むことになる。またこれらの天底の場合は大抵自分の目標よりも上げ過ぎ、下げ過ぎるものである。従って行過ぎた相場は人気を出し切ると必ず反動を起こすものである。この反動を忘れてはいけない。                                                                                                        


■休むことが肝要…

相場には売りと買いのほかに休むという手がある。資金のつづく間は売りでも買いでもつねに建玉を持ち、休むことを知らぬようでは決して大きな利運を得ることは出来ぬ。利喰いしたとき、見込みのつかぬ時は必ず休むこと。仕掛けたいが相場の動きを見定めるまで待つという心の余裕をもって、休むようになれば相場の道がやや判りかけたと言ってよい。この休むということをくれぐれも忘れぬこと。                                                                                                      


■二種類の後悔…

相場に親しんでいると後悔することがある。後悔にはふたつあり、その一つは利喰いした後ほど大きく、もう少し待てばよかったという後悔。もう一つはせっかく利が乗っていながら、まだ早いと考えて利食いを逃し、そのうちに相場が逆転して結局は利喰いが損に変わるという後悔である。前者は用心が過ぎ、後者は欲の間違いである。                                                                                                                                                                     


■うかつの商い…

相場の高下は天性自然の理によって生じるものであるから、どんな場合でも見通しのつかぬのが当然である。判らぬ相場に不案内の人が無鉄砲に商いを仕掛けるのは危険である。迂闊に商いをしてはならぬ。失敗の基は多くはここにある。                                                                                                      


■算用不用…

相場は材料を無視することは出来ない。周囲の事情を考えなければならぬ。また採算も場合よっては必要であるが、多くは目先であるから、これらにあまり捉われすぎると相場の実体が掴めなくなる。それは「知ったら終い」ともいい、相場が先見性を持つからである。材料を噂しているときは既に値のうえに織り込んでいる。相場は現実より絶えず一歩進んでいるということを忘れてはならぬ。

あまりに材料本位に考えて売買するとかえって近視眼的になり損することが多い。相場に算用はいらない。大勢の動向を掴み、人気の消長を考えていればよい。「理外の理」によって動くものと知らねばならぬ。相場は天性自然の理によって高下するものである。極意は天井と底を考えて、毎日の動きを計っておればよいのである。