自分は裕福なのか・・・
人間の満足度は相対的なもの?
今日、前述の8歳の息子と、ひとつの契約を結びました。
一ヶ月のお小遣いを1000円と決めて
その物理的な管理から、使途の管理まで
一切を自分でやること。
子供は1000円だとほかの友達より少ないという
不平を口にしましたが、初めてのお小遣いに
ちょっと興奮気味。
そして今日初日にして700円の遊戯王カードを購入(涙)。
きっと息子は、のこりの30日間を苦しんで生活
することでしょうが、それは自業自得というもの。
ところで、クラスメートのお金遣いは我が家よりも全体的には派手。
聞くと、プレステの新作ソフトが出るたびに買いそろえているような子供もいるし、
一回100円のムシキングというゲームで
100円玉を一日に何枚も使ってしまう子供も。
息子としては私がいくら10円、100円の価値を教え込んでも
周囲との相対評価でお金の価値が決まるので
内心「これっぽっち?」なのです。
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今、ペルーのケビン君(6歳だっけ)と文通をしています。
貧しい彼の町では子供も立派な労働力として、
小さいころから働いています。
朝起きて井戸水を汲みにいったり、両親不在の間、
弟の世話をしたり。其の合間に勉強をするという具合。
彼の夢は隣の町で走っている電車を見ることだと
手紙にはありました。
たまに届く彼の写真や手紙をよく息子に読んできかせ、
世界にはこういう恵まれない生活をしている子供のほうが
人口換算すると多いんだと、聞かせると
子供なりにしみじみするようなのですが、
自分が恵まれているかどうかの評価は
自分の身近なところとの相対評価。
お金の価値、裕福さの尺度というのは
現在の自分の身近なところとの相対評価で、
どんなに親が子供のときに倹約していたか、
世界の途上国の子供が恵まれていないか、
そんな次元の違う話をしても、意味は無いのです。
・・・というわかりきったことを、今日は考えてしまいました。
PS;フォスタープラン
を利用して、私は毎月5000円の寄付とペルーのとある男の子との
文通をしています。年間算で6万円。
けして小さな額ではないですが、小さな額ではないというのも
私の相対評価が下した価値なわけです。
でもこのお金で、ペルーの地域の子供たちに
予防接種のための注射が配布されたそうです。
お金はためるだけではただの紙切れ。
使って初めてお金としての価値を発揮する、と細木数子氏も
言ってたっけ(笑)。
日々株価や為替をおっかけては売り買いに没頭する自分を
相殺するための偽善行為?
だとしても偽善かどうかは自分側の問題で、
お金を受け取るほうにとっては現にそれが
何十人もの命を救う予防接種代や学校を建設するお金、
以外のなにものでもありません。
だから偽善かどうかうだうだ考えるよりも
(偽善だとしても、)それが人助けになるならいいじゃないかと
25時間テレビとか、チャリティーオークションとか見ながら
思います。
夜眠れないと、意味不明な文章がでてくるもんですね(笑)
今の自分はたぶんおかしい。
the end★