彼に謝られ、すっかり機嫌を直したわたしは、年があけたころ、リワーク通いが急に楽しくなった。軽運動というプログラムで体を動かしたことがきっかけだった。
そうだった。と気がついた。
わたしは運動が好きだったのだ。
競歩をしてから、踏み台昇降とテーブルで卓球をする。それだけなのだが、いままでは物静かに通っていたのに、そこで笑えるようになった。たくさん笑っていたら、声をかけてくれる人も増えて、知り合いが増えた。どの集団にも中心的存在になる人がいると思うが、その中心的グループにも仲間に入れてもらえるようになった。休み時間にはそのメンバーで人狼ゲームをした。
人狼ゲームは結構空気も読まないといけないので、得意ではなかった。一歩間違うと足手まといになるからだ。人に迷惑がかかることはやっぱり苦手だった。
他にも、オセロが好きな人たちに、オセロの勝ち方を教えてもらったり、エコクラフトが得意な人たちと色々作って見せ合ったりと、色んな活動が楽しくできるようになった。
そこで、服薬と周囲の人たちとの関わりで心が安定してきたわたしは、自己分析というのを行うことになった。自分がどこでどう考え行動し、うつ病になってしまったのかを振り返る作業だ。
その作業は、嫌なことを思い出さなくてはいけないので、わりとしんどかった。でも、細かいセリフまで覚えていて、それを紙に置いてくつもりで書いた。そして、担当のスタッフさんと、じゃあどうしたら良かったのか、じぶんの考え方の癖はどんなか、を分析していった。
わたしは自分の意見をきちんと言えなかった。
アサーションやアンガーマネジメントなど色々なプログラムを受講して、自身を振り返った。
ときどき体調が悪く、泣いてしまうことがしばしばあったが、そんなときは仲間となったメンバーの人たちが励ましてくれた。おじさんたちから人気になった。
ある人にはママドルと呼ばれた。うつ病界のママドル。なんとも可笑しかった。
そんなこんなでリワーク通いしていたが、その中にはアスペルガーやADHDの人も少なくなかった。あるADHDの人に言われた、同じ気質がある気がする。
主治医の先生に、わたしはADHDかどうかきいた。テストがあるから、やってみようかと言われた。やってみると、
ADHDですね。
と言われた。テストの結果はもちろんのことだったが、
答え方がチェックをつけてと書いているのに、丸しちゃってますね。
と言われた。笑えた。注意散漫がだだ漏れていた。