『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、初代タイガーマスクの世界を再現してみよう』のコーナーです
前回は初代タイガーマスクの味方のプロレスラーのフィギュアを造ってみました
今回は、黄金の虎伝説の終演 初代タイガーマスク最後の対戦相手
和製カーペンィアこと寺西勇選手のフィギュアを造ってみたいと思います
素体はマーティー・ジュネッティー選手のハズブロWWFプロレスフィギュアを使用して、頭はフルスクラッチしました
完成
和製カーペンティア・寺西勇
ん~ イマイチ顔が似ていませんがフルスクラッチなので勘弁してください
大相撲→東京プロレス→国際プロレスと渡り歩いた寺西勇選手ですが、人間風車ビル・ロビンソンに鍛えられたシューターとしての実力は本物で国際プロレス時代はマットの魔術師エドワード・カーペンティアの再来の意味で『和製カーテンペンティア』というニックネームを持っていた空中戦も出来るオールランドプレイヤーでした
しかし、1981年に崩壊した国際プロレスの残党軍『国際軍団』として新日本プロレスのリングに上がった時は、なんだか一番の貧乏くじを引かされていた気がします
国際軍団崩壊と共に長州力選手率いる『維新軍』にアニマル浜口選手と一緒に合流し、同じジュニアヘビー級の小林邦昭選手と共闘しターゲットを初代タイガーマスクに定め活動を開始しました
昭和58年7月7日と8月4日に初代タイガーマスクの保持するNWAジュニアヘビー級のタイトルに2回挑戦しますが、8月4日の蔵前国技館での試合が初代タイガーマスク最後の試合となってしまいました
8月4日の試合前に新日本プロレス専務取締役兼営業本部長新間寿氏が、初代タイガーマスクらとリングに上がファンにサプライズな発表を行ないました
「今シリーズをもって、新日本プロレスのリングからタイガーマスクがいなくなることになりました!」
とんでもない発表でしたが、初代タイガーマスクは漫画タイガーマスクの原作者K氏が暴行容疑で逮捕されたことをうけ、次のシリーズから改名しますので引き続き応援を御願いしますということでした
新間寿氏らしい、インパクトを与えてから本当のことを言う発表の仕方でしたね(笑)
しかし、新間寿氏がファンにインパクトを与えるために言った最初のフレーズが数日後に本当の事になるとは・・・(涙)
ここで、タイガーマスクのコスチューム一式やマスク等がプレゼントされるクイズも合わせて発表され(欲しい!)
「改名される新しいタイガーマスクのリングネームを当ててください」という物でした
私は『スペース・タイガー』ではないかと思いましたが、どうも正解は『フライング・タイガー』だったようですね(笑)
初代タイガーマスク最後の試合は、入場時から異様な雰囲気でした
セコンドの小林邦昭選手と一緒に入場した寺西勇選手でしたが、リング上で2対1の状態で激しく挑発しあいました
特に寺西勇選手のエキサイト振りは異常なほどでしたが、寺西勇選手は何に怒っていたのでしょうか?
試合は、序盤初代タイガーマスク・寺西勇選手共に得意の空中戦を控えた内容で始まりました
初代タイガーマスクのフルスイングのマジ蹴りキックとグランドでの高度な関節と、それに完全に対応している寺西勇選手のポテンシャルの高さに、その後に誕生するUWFの試合を彷彿してしまいます
佐山さん、NWAジュニアヘビー級のタイトルマッチでチキンウイング・アームロックやV1アームロック仕掛けてるんですよ(笑)
それに、完全に対応している寺西勇選手も、国際プロレス仕込みのシューターだったことがよくわかります
・・・が、当時の私には その凄さが理解出来なかったことが悔しいです
寺西勇選手も、足4の字固めやV字足首固めという古典的なプロレス流の関節技で返していくところが素晴らしいです
しかも、極め方が半端なく初代タイガーマスクがタップしてしもおかしくなかったほどでした
この後、寺西勇選手の雪崩式ブロックバスターや初代タイガーマスクのムーサルト・プレス(当時はムーンライト・コースターと呼ばれていました)等の派手な技の応酬が有り
圧巻だったのは、当時のプロレスでは考えられない寺西勇選手のトップロープからのフライングボディーアタックをドロップキックで迎撃するという現在のプロレスに続くムーブメントの元祖が実現しました
最後は、初代タイガーマスクのオリジナル必殺技ターガー・スープレックスで決着しましたが、第3話・第4話を期待してしまう名勝負でした
しかし、この数日後に突然の最終回が訪れることになります
今にして思うと国際プロレスって凄い団体だったのかも知れませんね・・・私がわからなかっただけで
と、言うことで御詫びの気持ちも含め
もう一人初代タイガーマスクと縁の有る国際プロレスのジュニア戦士を造ろうと思います
素体は同じくマーティー・ジュネッティー選手のハズブロWWFプロレスフィギュアを使用して、顔はパソコンで作成いたシールで誤魔化します(笑)
完成
和製ルチャドールマッハ隼人
今回造ったのは1984年に全日本プロレスに参戦したときのカブキスタイルです
このカブキスタイルのマスクのデザインが、ザ・グレート・サスケ選手のマスクのデザインに大きく影響を与えたことは想像出来る事です
元々マッハ隼人選手は、新日本プロレスの入門テストを受け試験のメニューを全部クリア出来ましたが身長が低いという理由で新日本プロレスに入門出来なかったという経歴を持っています
因みに、身長は初代タイガーマスクより3センチ高かったですが・・・
その後、色々有って国際プロレスの一員になりますが1981年に国際プロレスが崩壊
業務提携が決まっていた新日本プロレスに合流して、軍団対抗戦に入る事になっていましたがマイティー井上選手を筆頭に多くの選手が、そのプランを拒否し脱退
最終的には、たった3人のはぐれ国際軍団として「こんばんは、ラッシャー木村です」事件へと向かっていきます
もし、当初のプラン通りに新日本プロレスVS国際プロレスの軍団対抗戦になっていたら
初代タイガーマスクの相手は、マッハ隼人選手に決まっていました
以前、お話ししましたが初代タイガーマスクVSマッハ隼人が実現するのは、後に佐山氏がタイガージム所属レスラーのザ・タイガーとして参加した旧UWFの『UWF無限大記念日』の興業です
もし、国際プロレス崩壊後に、脱退者なしで国際プロレス全員で新日本プロレスとの、軍団対抗戦に入る事が出来ていたらどうなっていたでしょうか
ラッシャー木村選手筆頭に、ア二マル浜口選手・寺西勇選手のはぐれ国際軍団に、全日本プロレスに移籍したマイティー井上選手・阿修羅原選手・米村天津選手・アポロ菅原選手・冬木弘道選手、フリーになり海外に世界を求めた鶴見五郎選手・髙杉正彦(ウルトラセブン)選手・マッハ隼人選手
新日本プロレスVS3人だけのはぐれ国際軍団とは、スケールも内容も大きく異なったと思います
毎週金曜日午後8時・平均視聴率20%以上のゴールデンタイムで、国際プロレスのパイオニア魂を全国のプロレスファンに見せつけることが出来たら
やがて、新日本プロレスとの業務提携が終わっても国際プロレスにとって違う結果が有ったような気がして仕方ありません
初代タイガーマスクVSマイティー井上 や 初代タイガーマスク・ウルトラマンVSマッハ隼人・ウルトラセブンなんか見たかったですよね
プロレス界につきものの、タラレバの話しですが・・・
PS
今回のお話しの、対寺西勇選手の時の初代タイガーマスクのコスチュームは赤いパンタロンスタイルですが
造っていないので、いつもの初代タイガーマスクのフィギュで御勘弁ください