ふうせんのブログ

ふうせんのブログ

小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

ご無沙汰しています。8月25日以来のブログです。

昔からの言い伝えは、ほんとに良く出来ていますね。
お彼岸が過ぎ、9月24日になると、それまでの暑さはどこへやら、涼しいを通り越して、早朝などは寒く感じるほどの気候になりました。
私の場合は特に、それは突然別の世界に迷い込んだように、やってきました。
といいますのは、9月16日敬老の日に、新型コロナウイルスにやられてしまったのです。
それから1週間、この老人ホームでは、居室から一歩も出てはいけないし、ベランダのガラス戸を開けることさえ禁じられてしまったのです。私の頭の中では、まだまだ厳しい残暑が続いており、エアコンに頼る日々でした。

ですから、コロナ発症から1週間を経て24日は、解放感いっぱいにベランダを開けました!!
突然の冷気に見舞われて、一瞬、浦島太郎のような感覚になっていました(笑い)

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9月16日は休日で、老人ホーム併設の病院は休診でしたが、掛かりつけの町医者が休日診療していて、指定された時間に行くと即検査、感染との診断。
特効薬のゾコーバ、副鼻腔炎の薬、解熱剤などを院内投薬してくれて、帰宅。
その日はゾコーバを一気に3錠も飲むんですね。次の日からは1錠ずつ。その他の薬もちゃんと飲んで、熱がでたのは、夜の時間に38度ていど。朝は36度7分ぐらいに下がるという症状が2日間。
副鼻腔炎の薬が処方されたことも納得。当初は鼻水程度だったのが、数日後に副鼻腔と喉に痛みが出て…・・・、それも3日ほどで治まりました。
いまも、時々は咳き込むので、昨日、副鼻腔炎の薬を処方してもらいました。

それにしても、この1週間は、寝て、寝て、この4年間の寝不足を一気に解消するかのように、眠り続けました。
この4年間といいますのは、中川右介と伴に暮らした住まいを離れて、4年前の9月16日にこの老人ホームに転居したのです。

離れて暮らしても「家族」という、新しい家族の形になった、その記念すべき日に、病魔に襲われるなんて、なんと言うべきか?!
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記念日といえば、前日の9月15日は中川右介の誕生日でした。
今年は日本橋の和食のお店に予約をいれていたのですが、その日から私の体調が悪くて、キャンセル!!
9月25日は、久しぶりに中川とエレーヌ・グリモーのピアノコンサートに行く予定てしたが、これはグリモーのほうからコロナを理由にキャンセル。

9月の歌舞伎座は、中川が夜の部の『妹背山婦女庭訓』の尾上左近の雛鳥について、「左近の女形は初めてだが、こんな才能が埋もれていたのかと思う見事さ」と、絶賛。

文藝春秋の『CREA』では歌舞伎研究の清水まりが
【市川染五郎の恋人役・尾上左近に玉三郎が“女方のいろは”を伝授! 「私の娘になってね」という一言で…】

この紹介があったので、後半に行こうと思っていたのですが、25日が千穐楽でした。
来月は配信があるでしょうから、そこで観ようと思います。

今年の8月から9月にかけて、私にとりまして厳しい日々でした。
それはまったくのプライベートな出来事なので、いつか話ができるときにブログに書こうと思います。
疲労が溜まっている時は病気になりやすいですね……。
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10月は、歌舞伎座は夜の部に行きます。

仁左衛門と玉三郎の『婦系図(おんなけいず)』はもちろんのこと。
eplus・SPICEの取材会レポート(取材・文=塚田史香)

玉三郎の六条御息所、染五郎の光源氏で『源氏物語』も、たのしみです。

そして大阪松竹座、ほんとに久しぶりの遠征!!

中川と一緒に行きます!!

【十三代目 市川團十郎白猿襲名披露、八代目 市川新之助初舞台】のファイナル!!
昼の部の『雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』は、何回観ても面白い芝居です。
鳴神上人、粂寺弾正は当然のこととして、
早雲王子の美しくも哀しい終焉の大立ち回りが大好きなんです。


そして夜の部。『連獅子(れんじし)』
eplus・SPICEの取材会レポート(取材・文・撮影=久田絢子)

とても、とても楽しみです。

今日も長いブログになりました。
ここで、ブログアップします。

※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください