マリー・ローランサン 愛の最終章 | 二日酔いのトド

二日酔いのトド

ブログの説明を入力します。

日本でのローランサンは 単にパステルカラーを多用したファンタジックな

画風を特徴とする 中堅の近代女流画家と観る人が大半でしたが‥

此処までで 彼女の波乱万丈とまでは言わずとも 恋と自己の理想を追求

した人生と 作品の評価を変えるきっかけともなる話を勧めてきました


ばらの女 1930年


  


音楽 1944年頃


     


二人の若い女友だち 1942年


     


第一次大戦終了後の 彼女の画風確立と成功は目を見張るものがあり

この段階で画壇の大家とも評価されましたが 平和の時代は長続きせず

1939年には第二次大戦が勃発します この際には自宅アパルトメントを

ドイツ軍に接収され 1945年に大戦が終結するも 一時対独協力者の

嫌疑をかけられ強制収容所に収監されました 何かモナリザ窃盗事件の

嫌疑をかけられた事が発端で別れ マリーの結婚にショックを受け? 

早逝した 恋人にして理解者であり彼女の成長と 画壇での成功を後押し

した アポリネールを思い出します <(_ _*)>


シャルリー・デルマス夫人 1938年


女優シャルリーの 優雅さや優しい表情を引き立て 画面右奥の建物が

奥行きを示す 構図、色彩共に工夫が凝らされた 魅力的な肖像画です


     


ところで裁判の末に接収された アパルトメントを取り戻せたのは 第二次

大戦の終結後10年を得た 73歳で亡くなる前年の事でした


話しが戻りますが 第一次大戦は1918年に終了 3年後ドイツ男爵の夫

オットーとの離婚が成立しパリに戻ったマリーは 1925年に家政婦として

シュザンヌ・モローを雇います


シュザンヌ・モロー(青い服) 1940年


シュザンヌは20歳の時に ローランサンに家政婦として雇用されます

マリーの死の直前には養女となり 遺産も不足なく手にしますが‥

砥水(とど)流の考え方では その青春と人生を捧げたとも言えますねぇ~


     


家政婦のシュザンヌとは1956年6月8日に 心臓発作で亡くなるまで

31年間を二人で暮らしますが 死の2年前にはシュザンヌを養女とし

死後は遺言を残し シュザンヌに生活に困らない相当の資産を残し

遺産の大半は孤児院へ寄附をします 不自由の無い少女時代かの様に

思えたマリーですが 矢張り非嫡出児として生まれた影を抱いたのか?


三人の若い女 1953年頃


若い女性は 現実の女性でも神話の中の女神でも無く ローランサンが

生み出した世界の住人です 安定感のある構図 鮮やかな色彩など‥

マリー晩年(70歳)の作品ですが 彼女の画家人生を集約した特徴的な

代表作の一つと言えます


 


沢山の作品群と フォービズムからキュビズムへと 画壇の主流が変換を

する中で 其れらの特徴を踏まえた独自の ローランサンスタイルを確立

マリーは もっと評価を受けても良い存在でしたが 養女としたシュザンヌ

1976年死去の 独占欲と所謂芸術家の死後の煉獄に嵌まる事となり 

1970年代までローランサン作品に対する 顕彰が行われ無かった事が

マリーの評価を高め得なかった要因と考えられます


マリー・ローランサン 1933年 50歳


寛いだ表情のマリーですが 誰かに似ていると想いませんか? そうです

貴女、貴女にそっくりじゃーありませんか (^^♪


 


最後になります マリー・ローランサンは其の遺志に従い埋葬されました

「白い衣装に真赤なバラの花と 恋人であったアポリネールから送られた

手紙の束を胸に抱いて」 パリ東部ペール・ラシェーズ墓地に眠りました


今更ですが 振った男の恋文を胸に‥ いや40年も手紙を保管していた

女心が 判るようで全く理解不能な砥水(とど)です (=_=)