終戦記念日の昨日、伊勢崎へ祖母の墓参りに行ってきた。墓参りや飯のとき以外ってのはする事なくてただダラダラと甲子園を観てるだけ。因みに正月は駅伝。
しかし昨日は8月15日って事で思い切って祖父(83歳)に戦時中の話題をふってみた。最初は俺の質問に答える程度だったからあまり話したくないのかとも思ったが、俺が真剣に聞いてるのが伝わったのか自ら体験談を語るようになってくれていた。
やはりB-29ってのは他の米国の戦闘機とは比較できないほど恐ろしいものだったようだ。実際に祖父の頭上を何度も旋回し雨のように爆弾を落とし逃げ道がないほど一面焼け野原にしていったらしい。普通の戦闘機なら燃料の都合などで一箇所を旋回するのではなく爆弾を落としそのまま通り過ぎていくが、B-29だけはデカいタンクに膨大な燃料を備えてやって来るのでそうではなかったらしい。これにより祖父の弟は片腕をやられ有無を言わさず切断されたとゆう。片腕で済んだのがまだ幸いだったのかもしれない。
祖父は兵隊には志願しなかったらしいが祖父の兄や友人が志願兵となり九州の飛行場で訓練を受け1~2年程でパイロットになる。しかし、その後すぐに終戦となったため出撃は命じられなかったらしい。
家は兄弟が10人もいたため貧乏だったようでラジオも無く広島と長崎に原爆が落とされた事は後から知ったようだ。なので1945年8月15日、全国民が聴いてたと思っていた天皇陛下の玉音放送も聞いてなかったと。17歳の頃らしい。
「終戦を聞いて正直嬉しかったか?それとも悔しかったか?」と尋ねたところ、祖父は「・・・・・。」
戦時中に食料不足とゆうのは有名とゆうか当たり前の話だが、それよりも戦後の方が大変だったらしい。これは「TVの仕事はやめる」と言っておきながら幾度も見かける池上先生も言っていた事だから間違いない。戦争が終わっても食料不足とゆう困難を知っていたから祖父は何も答えられなかったのだと思う。そんな食えない日本に満州などの海外で働いていた約800万人もの日本人が一斉に帰国したため更に深刻な食料不足に悩まされた。祖父は昼夜問わず家族を守るため必死に工場で働いたと。
この時代の人達がこんなにも苦労して再生した日本を、今は日本人自らの手で破壊しようとしてる。本当は世界一強い国民がいるのに、世界一情けない政治家のせいで寂しい国だと感じる。
貴重な話を聞く事が出来て良かった。また祖父と戦時中・戦後について語らいたいと思う。
それと完全なる余談ですが伯父の話を聞く機会もあり、伯父は中卒で東電社員となり現在もどうゆう立場かは分からないが働いている。北茨城市の親戚の家を訪ねた際、原発の話題に触れられ言う言葉が見付からなかったとゆう。北茨城市は福島原発の近くで放射能には敏感になっているらしい。アホな政治家やアホな上司のせいで巻き添えを喰らい、もがいてる人もいる。完全に余談でした。
気分な一曲↓Skatalites ft.Tommy McCook「Peanut Vendor」