早朝、通勤するリーマンの群がる東京駅。缶ビールを片手に正月モード全開で意気揚々と新幹線に乗り込む。時速300キロに揺られること4時間、到着。

駅前から乗り慣れない路面電車(広電)に乗り約20分。

原爆ドーム前で下車し「平和記念公園」へ。

天気も快晴。昂る思い。

全方位から「原爆ドーム」を。




原爆投下以前は産業奨励館として使われていた建物だが原爆によって大破・全焼。当時のほぼそのままの姿で保存されているらしく、原爆の威力と核の悲惨さが一発で解る。「原爆の思い出に繋がる」として取り壊しの意見もあったとの事だが「後世に伝えていこう」とゆう決断になり保存が決定。
近寄ると折れ曲がった鉄骨などが見られるが、幾度の修復を経て96年に世界遺産に登録された。
その付近には千羽鶴と一緒に「脱・原発」のメッセージが。

そして、広い敷地内を暫く歩いて進んでいくと遠足で来ていた幼稚園生たちに囲まれた「原爆の子の像」がある。

何かメッセージを読み上げていた様子。
2歳で被爆し、10年後に白血病を発症し亡くなった佐々木禎子さんを偲び、また原爆で亡くなった子供達の霊を慰めるために建てられたらしい。女の子の像が掲げるのは折鶴。闘病中、禎子さんは「鶴を千羽折れば治る」と信じ折り続けた。像の下にある石碑には「これはぼくらの叫びです、これは私たちの祈りです、世界に平和を築くための」と刻まれている。
そして年間1千万羽の折鶴が世界中から捧げられるとゆう。
次に「平和の灯」へ。

核兵器廃絶と世界恒久平和を求めるシンボルで、このクソなデジカメじゃ何がなんだかよく分からないが、後ろに見える台座には全国12宗派から寄せられた「宗教の火」と工業地帯から寄せられた「産業の火」と宮島の「消えずの霊火」等を火種とした火があり、50年以上燃え続けているとゆう。この世から核が無くなるまで火は消えないのだと。
因みにその奥に「原爆ドーム」があり、全て一直線上に建てられている作り。
最後に「広島平和記念資料館」へ。

1945年8月6日、8時15分。原爆が投下されたその瞬間に止まったままの腕時計。この瞬間から世界は核時代に突入したんだね。。。



被爆者が当時身に付けていた物などが多く展示されていたが、その中でもとくにこの黒焦げの三輪車は凄かった。この三輪車に乗ったまま被爆した3歳の男の子の遺品らしいが、楽しい時間が一瞬にして無になったんだろう。遺品は色々と語ってくれる。
他にも破壊された広島市街地のパノラマ模型であったり、被爆して焼け野原を彷徨う人々を蝋人形で再現したコーナー、原爆投下直後に撮影されたきのこ雲の写真や動画などが展示されていた。あまりにもショックだったのか泣いてるお客さんもいた。その後ろでは幼稚園生が走り回り、修学旅行中の高校生が全く関係のない話で盛り上がっている。確かに学生の時に無理矢理連れてこられてもつまらないよな。解る解る。
そんな事はどうでも良くて、親切な事にボランティアガイドと称したスタッフがウロウロしているので分からない事があったら質問も出来る。俺も幼稚園生や高校生、外人さんに交じり話を聞いた。
原爆が製造され実験を行ったのが1945年7月16日。その後、ひと月もしない内に米国は終戦決断手段として広島に投下。原爆投下の他にも日本本土上陸作戦、ソ連への対日参戦の要請、天皇制存続の保証とゆう選択肢があったらしい。こうした状況で原爆投下により戦争を終結する事が出来れば、戦後ソ連の影響力が広がるのを避けられるとともに、膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できると考えた。
そして広島・小倉・新潟・長崎のいずれかへの投下命令を下し、広島を第一目標にしたのは目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所が無いと思っていたためだったと。
めちゃ勉強になるじゃないですか。計算に計算を重ねた結果の原爆投下だったんすね。まぁ米国の言ってる事なんで「信用するかしないかは貴方次第」って感じでしょうか?
その後は被爆者の体験談をビデオ鑑賞したり、外に出て平和記念公園内で涼んだりして一つ目の目的終了。
ホテルにチェックインし、すぐさま広島焼きを目指し街中へ。写真ないけど美味かった。それからサッパリしたもの食うために海鮮居酒屋へ。

これも美味かった。〆のラーメンも平らげ、朝早くから酒入ってたからテッペン回る頃にはグロッキー。翌日も早いので素直にホテルにて就寝。
長々とスイマセンでした。二日目に続く。。。
気分なもう一曲↓ルーシー「MATERIAL GIRL」