Disney100周年記念映画「ウィッシュ」日本公開から1ヶ月強経ちましたが、その間にX(旧Twitter)でマグニフィコ王について、ファンや制作側のコメントが沢山あげられているのを見ますと、

《「ウィッシュ」は、観客に思考を仕向ける高度な作品ではないか》

と思うようになりました。

 

■マグニフィコ王の最初のファンは映画監督ご本人■

 ファンの方が挙げてくれた物に、監督ご本人が

《バックグラウンド(国と両親を賊に奪われた過去)が決まった事で、彼は悲劇的かつバリバリと魔力を感じる妖艶なキャラになり、私のお気に入りになった》

と述べていたそうですー監督もマグニフィコ王を認識したのに、展開を制御できなかったのかと思いました・・・

 

■実は、マグニフィコ王が本当の主人公■

 本編開始すぐに、マグニフィコ王のバックグラウンドを示したのは、あえて観客に彼という存在を強く感じさせ、彼が歪んでいくのを追っていくーセミドキュメンタリー的な物に見えてきましたーそう見ると、アーシャとロサスの人は彼の歪みを写し出す《鏡》ではないかと、感じてきました。

 気のせいですか、マグニフィコ王はヴィラン設定なのに、全くそういう感じもなく、どちらかというと非常に人間的で、激しい感情を必死に抑え込んで、思わず年下の妻にすがってしまう姿が、とても痛々しく感じますーその反面、アーシャは一度も立ち止まらずに、ひたすら自分が思った事に突っ走っているのを見ると、なんとも危うさを感じてしまいます。

 結局、アーシャが思いを貫いた結果、マグニフィコ王は自分の歪みに身を任せ、自滅してしまったのは悲しい限りです。

 

■どちらも正しく、どちらも悪くないー倫理的問題■

 マグニフィコ王の姿勢もロサス王国運営においては正しいといえますし、アーシャが彼に反抗するにも一理ありますーだからこそ、互いの倫理に照らし合わせて行動しなければならないーしいて言えば、

《民を信じ切れなかった王と、王の行動を理解できなかった少女》

という大きなずれにより、ドラマチックに展開し、悲劇的終劇を迎えてしまいました。

 

 普通なら、ヒロインが王が民を信じていない心に気づき、皆で王と和解する方向にもっていくのですが、その道をあえてしなかったのは、やはりFlashGordonのミン皇帝みたいな《民を思いやらない専制君主の批判》にも感じられます。

 しかし、しっかりとマグニフィコ王の苦悩も描かれている点では、ストーリングの旨さを感じられます。

  

■深慮してみる作品■

 女性監督がタイの方というので、もしかしてそのタイ女性監督の深慮深い隠されたテーマがあると、思われますーではなければ、あの話ではキツイの一言です。

 

 「ウィッシュ」を見ていると、今年のドラえもん映画「空の理想郷」でのレイ博士を思い浮かびましたーレイ博士も、自分の理想に燃えて、人々を洗脳しようとして、やはり囚われてしまいますが、のび太だけが博士の想いを薄っすら感じ、同情していましたーこれだけで、レイ博士の救いになったといえます。

 そういえば、レイ博士も大変な高齢でしたーそれに、ドラえもんも同じ内容でした・・・偶然だと思いますが、ここまで内容かぶるというのは・・・ある程度、情報が知られていたかもしれませんね・・・まさか、そんなことはないと思いますがね💦

 

 とはいえ、ドラえもん映画「空の理想郷」を見た人なら、「ウィッシュ」みたらすぐにドラえもんの方を思い浮かぶと思いますがね。