2023年12月29日現在ーすみません、タイトルに間違いがありました。

 タイトルに《AIライター》とありますが。全文書いた物で一切AI使用していません、いまさらながらすいません💦

 

 

 ディズニー100周年記念映画として製作された本作ですが、余りのマグニフィコ王の濃さと、《ディズニー史上最凶悪役》と称されるには疑問を感じる人間性にすっかりドツボにはまり、まともに作品自体の感想書いていないと気づきました。

 

■日本アニメ的世界観■

 見終わってまず思い浮かんだのは、「エヴァ」でしたー孤島のロサスが第3新東京、マグニフィコ王が碇ゲンドウ、王に立ち向かうアーシャがシンジと来てから、スターが初号機・王妃がミサト・中身がオヤジの子ヤギがリュウジと見えてきました。

 最近になってからは、今年公開のドラ映画「空の理想郷」とTVシリーズ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」―マグニフィコ王が「空の理想郷」レイ博士と「水星の魔女」のスレッタのお母さんに見えましたーが、レイ博士は自らの理想を問答無用に推し進めているに対して、マグニフィコ王は魔力によって人々の思想制御する(人々から願いを受け取る代わりにそれ自体を忘れさせる)も、民に対しては慈愛を持って接しようとしたり、片親のアーシャに自分の過去を語り、親を亡くした気持ちを分かち合おうとするのは、スレッタのお母さんのようにー極めて複雑で人間味のあるキャラとして、親しみと悲しみを感じます。

 それが逆に恐ろしい所があるマグニフィコ王―こういうタイプだと、これまでため込んだ自分も気づかない怒りや欲求が、何かの拍子に暴走して狂暴化するのが、日本アニメでは多いパターンです。←それに、(冒頭のロサス王国建国までの話の中での描写で)魔法の島に島流しされたシェイクスピア「テンペスト」主人公にも見えます。

 それに、マグニフィコ王の過去もガンダムのシャアに通じる物がありますー《マグニフィコ》が本名でなければますますシャアっぽくなりますw

 

 これまでのイメージから大きく脱却した―日本青年アニメのような「ウィッシュ」に、米国本国の長らく日本アニメに慣れたファンは、ディズニーの思いっきりな方向展開に驚きと共に大いに喜んだそうですが、評論家は《100周年記念映画》として過去のオマージュを意識したためにひどく困惑しましたが、全体的には

【テーマやキャラが複雑で深みがあるのに、それらの掘り下げが足りない】

と批評し、あのアカデミーも2部門ほどノミネートしただけで終わり、世界の映画祭でもノミネートもなく公開もしていない所もありました。

 

■マグニフィコ王■

【ここから新たなる《夢》を紡ぎ出す】という、ディズニースタッフの意義込みははっきり感じられましたが、話の核となるマグニフィコ王の扱いにひどく乱れを感じてしまい、それについては米国本国の評論家すら《夢の作品に政治的な話を持ち込むな》と、言われましたー私としても、《ディズニーが作り上げた夢の世界》を破壊するマグニフィコ王を最初見た時は

「ここまで、ディズニーの作品を全否定しまくる演出って・・・」

と、製作スタッフの意図が分からず、困惑しました。

 

 しかし、「ウィッシュ」自体が「ピノキオ」のオマージュで、題名も作中で歌われる「星に願いを」からきています。

公式映像で、スターがゼペットおじいさんと出会う場面が描かれ、アーシャがスターからもらった魔法の杖やその場面での姿が、まさに仙女でしたーが、若干ハリーポッターっぽい気もしないですがw

 「ピノキオ」には《子供たちの楽園》があって、そこに来た子供たちは酒やたばこを飲み一日中遊びに更けている内に、ロバに代わってしまい大人に囚われてこき使われるという、恐ろしい場面があります。それを体現したのがマグニフィコ王だとすれば、ロサスを統治するマグニフィコ王はまさに《ディズニー史上最凶》と称される恐ろしい悪役になります。

 「ピノキオ」はピノキオが様々な体験をして、クジラに飲み込まれたゼペットおじいさんと再会し、いい子になると決意すると人間の子供になるという展開でしたが、「ウィッシュ」では、アーシャが慕っていたマグニフィコ王の本性を知って、《王からの離別―自立》を目指して奮闘する中で、スターが助っ人に現れるーピノキオは無垢な子供のように受動的に対して、アーシャはもうすぐ大人になる能動的な少女として描かれていますーこうした点で、過去への挑戦と感じられます。

 

 かなた、凶悪な敵として彼女に立ちはだかるマグニフィコ王も、アーシャの亡き父に対して

「夢見る哲学者で星の事ばかり話す」

といとおしそうに語る様子は、これまでの米国的一辺倒な悪人描写からの脱却に感じられましたーが、昨今のディズニー作品ならば、マグニフィコ王に償いの機会があったはずなのに、それをかなぐり捨てたラストにある種《闇》を感じてしまいました。

 マグニフィコ王には、製作スタッフの《物申す》のを全て背負わされた咬ませ犬的キャラとも思えますーそう考えると、なんともはやと感じです。

 

 しかし、ここまで壊れたキャラはディズニー史上初かもしれません・・・というか、「ディズニー大丈夫?」と心配になるほどの壊れっぷりは、思わず引いてしまうくらいな勢いです💦

 

■「ウィッシュ」■

 しいて言うと、【ディズニーが日本深夜アニメを真似して失敗しちゃった】といった感じですが、ストーリーとキャラ造形については、米国本国でも特に批判された様子はなく、私もそこはさすがディズニーとうなりましたー米国本国批評家は、

【悪役であるマグニフィコ王の過去や動機の深堀が足りない】

と言及しているように、米国映画ではかなり複雑なマグニフィコ王に注目が集まっています。

 これまでリメイクを希望していましたが、やはりラストは暴走したマグニフィコ王を止めるには、一旦封印するしかないと思えましたー彼の復帰を描く後日談を希望した方が、意に叶った展開ではないでしょうか。

 一つ思ったのですが、ミュージカルにした方がもっと良くなるんではないかと、感じるようになりました。

 ミュージカルの方が生々しさを感じられるからですー原作のアニメでは、ビジュアル演出とカメラアングルが強すぎて、肝心なストーリーとキャラの感情が飛んでしまうので、ミュージカルは終始舞台の上での俳優の演技によって、登場人物への感情移入ができ、登場人物が描き出すドラマに没頭できると思います。

 実のところ、わたくしは学校の授業で見に行った以来、全くもって《舞台上での》ミュージカルは見た事ないんです(TVでは手塚治虫の「陽だまりの樹」や、正確には違うけどそれっぽい「歌舞伎ナウシカ」などは見ました)が、舞台化されましたら劇団四季の劇場に行ってみよかとーかなり食指が動いています。

 まぁ本当の所、《あのギレギッレのマグニフィコ王をどう演じるか》という興味が一番強いですが、上記にあるように人間が舞台で演じるからこそ出てくる《生々しさ》を感じたいとも思います。

 

■最後に■

 やっぱりマグニフィコ王、ヤバッ!!!