NHKで、Queenが楽曲提供した1980年公開「FlashGordon」冒頭を見て、それに興味持ち調べる中-20世紀初頭の米国サブカルまで辿り着きましたー今回は、1910~30年代での米国映画/コミックを焦点にまとめました。

ですが、米国SFに関しては全くもって不案内なので、AIライターで調査します。

 

 1895(明治28)年の映画登場により、元奇術師フランス人ジョルジュ・メリエスが、映画史上初の特撮映画製作とスタジオ建設し、多くの特撮技術を開発―そうした中で、米国では

■1910年代■

 連続映画が多く製作される中で、《命を狙われるエレンを発明家が助け、悪者を追い詰める》-1915(大正4)年公開「拳骨(The Exploits of Elaineーエレンの功績)」のヒットにより、連続映画に当時人気だった《珍発明物》要素が取り込まれ、《クリフハンガー》展開もアクション物の原型となったそうです。

■1920年代■

 ハリウッドが中心地となり、世界的著名企業が土台を築いていましたー丁度その頃、倒産寸前だったWBが一部音が入った「ジャズシンガー」を1927(昭和2)年に公開し、ブレイクした事で翌年にはトーキーに完全移行。

 1922(大正11)年に怪奇雑誌「ウェア―ド・テイルズ(Weird Tales―世にも奇妙な物語)」と、1926(昭和元)年に世界初のSF雑誌「アメージング・ストリーズ(Amazing Stories)」が相次いで発刊されました。

 そこから、

≪主人公が実験中にガスを浴びて冬眠状態となり、数世紀経て目覚めると地球に危機が迫っていた≫

という出だしの、「バック・ロジャース」が登場―「アメージング」などで執筆するSF作家フィリップ・ノーランが、新聞社と共同して1928(昭和3)年に連載開始。

 ここから、漫画が新聞掲載されるようになりました。

■1930年代■

 この時期に、厳しいドイツから多くの映画人が渡米し、そこからゴシックホラー趣味が広まる中でSFは少なくなり、ある作品の興行的失敗により更に敬遠させてしまう事となりました。

 ユニバーサルスタジオが、そのフィルムとセットを全て買い取り、後にFlashGordonの連続映画制作に活用。

 バック・ロジャースの人気を見た出版社が、FlashGordon原作者アレックス・レイモンドに《地球に迫る惑星に向かう若い男女と科学者》を描いた小説からと依頼を受け、第1案を提出するも依頼側は《展開が大人しい》とドン・ムーアを脚本に付けて、ようやくFlashGordonとして1934(昭和9)年に新聞掲載―バック・ロジャース同様に、小説出版とラジオドラマ放映し、連続映画公開にも踏み切りました。

 1936(昭和11)年公開―自社と、買い取ったフィルムとセットをフルに活用し、魅力的な役者と展開によって、瞬く間に人気作となりました―その後、1938(昭和13)/40(昭和15)年と続編公開され、その間の1939(昭和14)年にはバック・ロジャースも公開。

 

 米国SFに大きく関わるのが「ウィアード・テイルズ」「アメージング・ストーリーズ」の2大雑誌-両誌とも、ラブクラフト/ロバート・ハワード/ハインライン/ウェルズなど世界的作家を見出した事では評価されていますが、大衆趣向が強い面で文学的評価は恵まれない所がありますーそれこそ米国らしいと感じられますし、これらがなければ米国エンタメ自体大きく成長しなければ、多くの実力ある作家が日の目に当たらず、うずもれたままにいたかもしれませんし、ファンも仲間を見つけるには非常に苦労するどころが―日陰の存在のままだったかもしれませんでした。

 世界的にも影響ある2大雑誌によって、現在のSF怪奇文化は大きく育ったのは認めざる負えない真実です。

 

 今回、初めて「ウィアード」に触れて、ふっとハリウッド史上最低特撮映画監督エド・ウッドを思い出しました―彼に協力する友人/彼に励まされてもう一度カメラに立つ往年のドラキュラ俳優ベラ・ルゴシ/興味を持ってついてきた怪奇物女優/引っ張り込まれた(?w)素人男優の5人で、文化祭なノリで映画製作に乗り出すーティム・バードン監督の1994(平成6)年「エド・ウッド」(1年か半年前かで翌日仕事があるのに深夜BS3で偶然目にしてしまった)は、1950年代でのエド・ウッドの活躍を描いた物ですが、なんとも「ウィアード」っぽい人で楽しかったです。

 彼の評判はかなり酷い物ですが、考えてみるとエド・ウッドが活躍していた時代にも、要因があったのではないかとー今になると思うようになりました。