昨日から続けて、YouTubeで短編「死んだ時間(1964年)」「かたつむり(1965年)」「囚人(1988年)」と、ルネラルーさんの軌跡を辿るドキュメンタリ番組もの2本に、日本語字幕対応の「ガンダーラ」全編を鑑賞。

 

①      短編「死んだ時間」

■粗筋 

 日本の子供たちが遊ぶ映像から始まり、戦争・暗殺・銃を撃つ人とー悲しき人間の性(さか)を描いていく。

◇感想

 字幕非対応だったので、映像と仏Wikiにあった情報で内容を推測。

 

 この作品から、すでにルネラルーさんの制作姿勢が現れているように感じました。

②      短編「かたつむり」

■粗筋

 地上に浮かぶ玉のそれぞれに人が立っていて、その足元に小さな人々が暮らしている。

 その玉の一つに住む農家の老人が、農作物がすべてなえて大変困っていた。

 どうやっても作物が元に戻らず泣いていると、その涙で作物はいきかえる。

 老人は、作物を育てるためにひたすら泣く事に頑張った。

 そのおかげで作物は家を超すほどに大きく育つが、それを食べたかたつむりたちが巨大化し、行く先々で交通網や町を破壊し人間を食べていくーそして、或る日、かたつむりたちは集まり動かなくなった。

 そのおかげで都市は復興できたが、そんな事は全く知らない老人は同じ方法でニンジンを育て、それを兎たちが狙っていた。

◇感想

 全くセリフない、ドラーグ族がカタツムリに変えただけといった感じですが、もう「オム族がいっぱい」を映像化したいという考えがあったのかなーという作風でした。

 しかし、「ファンタスティック・プラネット」よりも遥かに無機質に人間を襲うかたつむりの姿は、すでにトラウマ作家らしく怖いーこれを見てから「死んだ時間」を見たので、この作品の感触が違っていましたー絵本のような画風ながらも残酷な描写と展開は、「死んだ時間」から「ファンタスティック・プラネット」の延長線上と感じました。

③      囚人

■粗筋

 二人の子供が船で不思議な島にやってくるーそこの住民はひたすら沈黙し、何か瞑想している様子。

 二人の子供たちはどうすればいいのか分からず、島にさまよっているとそこの主のような女性と会う。

 そして、海べりに行き波音を聞いているとそこの住民から耳栓をさせられてしまう。

 しばらくすると、島に一匹の鯨が打ち上げられるー住民たちはそのクジラを島の中に引っ張り込む。

 その夜に、クジラの中から全裸の女性たちが次から次と現れ、島の主の女性の許に行く。

 そして、クジラの女性らに見守られて、二人の子供たちは島の主の女性と島を出る。

◇感想

 TV用に制作された、ルネラルーの世界観を全開にした作品です。

 こういうのを見ますと、ルネラルーさんは幻想短編の方が得意ではないかと思ってしまいます。

 そういう流れで、同じく幻想短編「ワン・フォはいかにして助けられたか」があります。

 でも、ルネラルーさんって「ファンタスティック・プラネット」でいきなり東洋趣味になっていません?

 原作にはないドラーグ族の瞑想から、「時の支配者」「ガンダーラ」とドンドンその趣味を前面に出してきています。

 どこで方向性がそこまで変わってしまったのか、知りたいですw

 話が脱線してしまいましたが、元々ルネラルーさんはアニメを文学並に高尚な物にしようと考え実践していきましたが、欧米のSF・アニメ業界の無理解と資金難と、1980年代後半から急速に地位を確立してきた日本アニメによって、激しく変動する業界に合わなくなったのか、1990年代から制作から離れていきました。生涯結婚していなかったそうですが、自作が子供でした。

その子供たちが、今では世界中にお父さんの名を広めています。

④      ドキュメンタリ番組2本

 日本語字幕対応で速度を0.75にしましたが、読み切れなかったり一度では分らない所があって、数度巻き戻ししました。

番組はルネラルーさん死去後に制作されたと思われます。

 

 最初のは足跡を簡単に辿る物で、アニメ作家になるきっかけとなった精神科病棟での芸術プログラム活動について、その時に制作された短編「狼の牙」の一部、「ファンタスティック・プラネット」「ガンダーラ」の絵コンテや文芸資料が紹介されていましたールネラルーさんを知らない人向に制作された入門的内容でした。

 

 次はルネラルーさんを知る人が一人語りする物で、仏Wikiにもないルネラルーさんの知られざる一面を知る内容になっています。話としては、ルネラルーさんは永井豪などの日本の作家と交流深い事と、

「煙突男と羊飼いの少女(邦題「やぶにらみの暴君(現題「王と鳥」)」以来の仏におけるSFアニメの確立に熱意持って打込んでいた事が語られていました。

 仏Wikiで、すでにルネラルーさんがディズニーなどの米映画に興味を持っていた事は知っていましたが、そのルネラルーさんさえ困惑する程に、仏アニメ業界の旧態依然な姿勢には驚きました。

語っていた人によれば、ルネラルーさんは

《アニメと言えばディズニーと言った子供向けと考えられ、特に仏SFアニメに関しては「煙突男と羊飼いの少女」以来全く制作されず、特にSFは未開拓でそれを文学級に引き上げねばならない》

と、話していました。

「ファンタスティック・プラネット」公開後、1977年から「マシンマン対ガンダハル」の作家とその作品を制作計画するもそれは時間かかると分かり、まずはステファン・ウルさんなどの仏SF小説(ここで「ニオールク」「シダールの光線」「巨大な恐怖」と別の作家のが提示されます)をTV物にする計画を立てましたが、それも無理と気付き映画にシフトする事になりました。

 それが「時の支配者」でしたが、その時に仏米SF・アニメ映画業界の壁に激しく当り、逆に急激に地位を確立していった日本に自分の理想像を見たそうです。

 ルネラルーさんが自分の理想像を重ねたという日本SFアニメ映画の例として「AKIRA」と「ゴーストシェル」が紹介されていましたーが、ここで私は少し違和感を感じてしまいました。あの世界を席巻した「ミュウツーの逆襲」が全く触れられていない事にー「ミュウツー」は、公開当時にローマ法王が遺伝子操作について話された位に高く評価されていたので、一例として挙げられてもおかしくなかったはずです。思わず、番組制作側の理解度を疑ってしまいました。ルネラルーさんでしたら、ポケモン映画も区別せずに新作は必ず見ていたと思います。

 

 気になるのは、番組内で何故か「ファンタスティック・プラネット」と「ガンダーラ」の日本版ポスターが表記され、「時の支配者」だけはそれでなかった事ですー確か公開当時、日本でも漫画家メビウスによる作画で注目されていましたが、すぐに立ち消えしたような記憶がありますー日本でも不発だったようで、この番組映像前に見たのにも

《作品としては低い基準だったーしかし、それはハンガリー側でなく資金不足が要因だった》

と関係者のコメントがありましたー展開こそは滑っていたと思いましたが、その作画と演出では資金不足を感じではいました。←先の鑑賞時にハンガリー側にも突っ込んでしまいました(;´Д`) 

 

 このドキュメンタリ番組2本で、ルネラルーさんの軌跡と制作に当たっての秘話や思いがよくわかり、仏SF・アニメ界隈の状況と日米のつながりを知れた、貴重な映像資料でした。

 それに、番組最後に語り部が「ルネラルーが忘れられかけている」と話しているのは寂しさがありますが、ここ最近日本では「ファンタスティック・プラネット」で若い人に知られるようになりましたが、ドラーグ族が「進撃の巨人」の巨人族と一緒にされているのはどうかと思いますがw

⑤      日本字幕対応版「ガンダーラ」

 日本語字幕対応で速度を0.75にしましたが、読み切れなかったり一度では分らない所があって、数度巻き戻ししました。

 上記の設定だと見終わるのが午前5時半になるため、ラスト15分ほどはセリフを除いて飛ばしましたwーイタリア字幕版を日本語変換にしたので普通に読めましたが、後で飛ばした部分をゆっくり見直そうw

 

 やはりセリフが分らないと話が理解できませんねー突然異変種の人々と巨大脳、ガンダハル人である主人公の若者に、目一杯恨み節ぶつけていました↓ 

《突然異変種のお館様「我々だってガンダハル人だったが遺伝子実験でこんな身になった。自分からこの辺境に来たのだ。変異とはいうなミュータントと言え!我らは哀れなミュータントなんだ」巨大脳「君は事実を知らなければならない」/過去の遺伝子操作実験映像「実験で作られた人工脳は一日で2倍に育つので海に・・・」若者「放置したんだ」》

 そりゃあ、怒るわ!!

 でも、それでも彼らは若者とガンダハルのために尽力してくれたのは、若者の《真実を知りそれに立ち向かう》という強い意志と人徳に打たれたからでした。

 でも・・・若者も突然異変種の村に落ちた気を失った時に、突然異変種の人に「見た事ない奴だ、本当にガンダハル人か?」言われていましたので、自分たちと同じ匂いしたので助力してくれたのでは?w←結局、若者の正体は不明のまま

 

 ここで一番気になったのは、クライマックスでの場面2ヶ所―

 

①      若者と年老い巨大脳の対話

若者が「自分をこの時代に送り込んだあんなに知的で冷静だったあなたがなぜこんな事を成さる」と聞くと、「ワシは老いた、若いエキスで生き長らえるのだ」と返し、若者は彼が老体となって死を恐れる余りに狂ってしまった事に気付く

②      死期を悟った巨大脳の独白

「警備隊急げ、緊急事態だーあ・・・静寂に包まれていく。青い海、全てを何故覆ってしまったんだろうか・・・(若者に)私も連れて行ってくれ・・・」

 

と、老いた巨大脳の狂気と悲しさが描かれていましたが、こうして老いによって見誤った人物と言えば、ステファン・ウルさんの「オム族がいっぱい」のドラーグ族博物学者である老シン教授がいます。教授も、周囲のドラーグ高官には老いさらばえた存在と見られ、最期には自分の能力の限界を認める描写がありますー「ガンダーラ」の原作も1960年でしたが、ビートルズの映画でもビートルズの一人が年配者に対して反抗しているのが描かれています。この時代は、ヒッピーなどの若者文化によって年配者に対して反抗する描写がされていたのでしょうか?

 でも、それでも若者は時間の門の前にして死に行く巨大脳の叫びに後ろを振り返り耳を傾けているのを、彼の付き人である突然異変種の兵士に引っ張られていく様子がありましたーどこか、彼は自分で倒した巨大脳に対して哀れみの情を持っていた、と感じましたーそれを見ると、彼は「ガンダーラ」版ナウシカと言える存在だったと思います。

◇映画後の原作での展開

 「ガンダーラ」の原作者は、映画公開から10年後の1997年から2005年まで「マシンマン対ガンダハル」主役の若者を軸にした「ガンダハルと鳥の世界」「キャップ・シュル・ガンダハル」「ガンダハルの門」「ガンダハルの反乱」「ガンダハルの亡命」と、《ガンダハル》シリーズを発表―しかし、ステファン・ウルさん同様に日本語版は現在でも出版されていません。

 きっと、映画の後日談的内容だと思いますー巨大脳や突然異変種の人々のその後が凄く気になる終わり方していますからね、映画は。

 

 本気に《ガンダハル》シリーズ読みたいですーハヤカワSF文庫か東京創元社で、ステファン・ウルさんと一緒に邦訳版出してほしいです。出版の情報入手しましたら、可能の限り買いますw←「オム族」が読みたい、第1部しか出ないけどティワちゃん、めっちゃ可愛い(。・ω・。)ノ♡