前回の《11作品粗筋紹介》にてー以下の2点で、ステファン・ウルさんに対して、随分と乱暴でいい加減な感想を述べてしまいました。

 

①      奥さんが読んでいたSFを読んで、「自分でもこれくらいかける」と書き始めたが、一気呵成にデビューから4年間で長編11作も発表したために、後期に入ってからは医者と兼職だったためにー本職との疲労などで創作意欲とアイデアの枯渇により、作品の品質が低下した

②      出版社の編集された痕跡が感じられる

 

―記事を投稿してから改めて考えてみると、この2点の考えが全くの浅はかなものだと感じました。

 そうした考えに至ったのは、《デビューも含めて2作目「ニオールク」以外は全て186頁》と気付いた事です。

 デビュー時からこの頁数だったという事のは、1950年代の仏出版社業界では一般的な物だったと考えられますーそれに、デビュー作に当たる「《0》の戻る」がSF小説大賞受賞という話から、一般書籍でなく何か文芸コンテストに応募して、大変高く評価されたのではないかと思われますー受賞後すぐにある出版社でシリーズ物の契約をして、その1本目(「ニオールク」)でいきなり260頁も書かせてもらった事を考えると、ウルさんが受賞したのは当時では権威ある文芸賞だったようです←仏Wikiではその賞については記載はありませんでした

 しかし、シリーズ1本目を260頁でその後は186頁に固定したのは、契約出版社の思惑がよくわかりませんーそれに、そのシリーズ自体、定期発行物なのか大賞受賞者による作品群としての不定期物なのかも、不明―その以前に、1950年代当時の仏SF作品と作家群への、出版社と読者とその周辺の反応や扱いも良く分かりません。

 

 同年代で比較できる同分野の作家というと、私が知る限りでは星新一/手塚治虫/小松左京/円谷栄一といった、日本人作家や特撮監督ですーそれでも、耳学問レベルなので大した事は語れませんが・・・1970年代生まれなので、そもそも全く知らない世代ですが、この世代こそがSFといえば米露中心と見ていて、どちらかというと子供大衆娯楽物と見られ、ロシア物は純文学も含めてブランド品的扱いだったようです。

 仏など欧州物は、「レ・ミゼラブル」「ドン・キホーテ」《シェークスピア物》などの古典純文学と、「フランケンシュタインの怪物」「ドラキュラ」《エドガー・アラン・ポー物》などのゴシック文学に、「シャーロックホームズ」「怪盗ルパン」や近代空想科学小説といった処で、戦後まもないSF物は現状でも漫画(バンドデシネ)・映画でも、知る人ぞ知る程度しか知られていないように感じます。

 以前、半世紀も一つのシリーズを描いていた仏SF作家コンピが来日し、横浜にも公演しに来られたので聞きに行きましたが、その方々も

「仏は日米作品群に隠れてしまっている。広めようにも広まって行かない」

と語って、1950年代当りは日本同様にSFと漫画は相当軽んじられていたそうです。

 それを語っていた作家コンピも、自作を文学作品級に引き上げようと様々な作家を男女交えて行ったそうですが、(フランス人はとかく自我を貫く気概が強い所もあるため)結局馬が合わずうまくいかなかった話をしていました。

 

 そう考えていくと、ウルさんが異常な熱意をもって書き続けていた1950年代後半は、仏でのSF作家にとっては業界とファンの間だけしか評価されなかった世界だったようですーウルさんも1960年代初頭まで発表して、一旦休職(?)―1973年に「ファンタスティック・プラネット」公開に合わせて、長編「箱」を製作し始めるもすでに長編物は好まれない時代となり、出版先をたらいまわしにされた挙句に古巣で自作シリーズの続編としてやっと出版した経緯で、本格的に作品造りを辞めて、1980年代初頭と1990年代後半で短編と詩集を発表するのにとどまってしまったようです。

 

 こうしてみると、ウルさんはSFアニメ作家ルネラルーさんに作品を再評価・注目されるきっかけを作ってもらった点では、奇跡的としか思えなくなってきましたー実際、ルネラルーさん以外で映像化の際にはっきりと原作を名義した監督は、現在の所ではネット上では見つからないです。

 それでも、ウルさんの作品が日本も含めて各国言語に翻訳出版されているのは、仏wikiでも数少ないようです。

 

 仏Wikiに記載されている創作方法は、クリエイターの殆どが共通する物で特筆すべき物ではないですし、創作スタイルにおいてもそう珍しい物ではないと感じてしまいますー仏wiki編集した人の創作物への認識度合いや、ウルさんの作家としての姿を理解しているのか疑問に感じてしまう内容―「オム族がいっぱい」しか読めていませんが、他の11作もwikiサイトで粗筋が割と細かく書かれているのを読むと、ウルさんの編集能力は極めて高いと感じられます。

 極めて壮大な「オム族がいっぱい」を186頁にまとめるのは力業としか思えません技量ですーそれでも、「オム族がいっぱい」漫画版紹介サイトにあった読者コメントに「最後はあっさりしている」とありましたが、原作がそうだったのでそれは当然の成り行きで、正しい展開と思えますーといっても、原作をかなりいじっているので私はこれには少々支持し兼ねない所はありますがw

 

 

 ウルさんは、すでに亡くなってしまっているのでどうにも言えないのですが、原作者の手で全作をまとめ直してほしかったですーウルさんの壮大な想像の世界は、強引に186頁にまとめられ、尻つぼみで中途半端にされているしか思えません。

 そう考えると、《実は完全版の生原稿が全て存在している》のではないかと妄想していますw←もし存在していましたら、仏どころか全世界の現代SF小説史に衝撃が走りますねwww見つかるといいなぁ・・・