大阪市の「留年」小学2年生、ついに成人迎える

虚構新聞によると

 大阪市の橋下徹市長(当時)が2013年に導入した小中学校留年制度によって、小学2年生から進級できないままでいた坂田義夫君が23日、二十歳の誕生日を迎えた。坂田君のいる2年2組では、クラスメイトが成人を祝う誕生会を開き、「来年こそ3年生に」と激励した。

 坂田君は橋下市長の指示により留年制度を明文化した「教育維新条例」が施行された2013年、市立西中島南方小学校に入学。翌2014年に2年生に進級した。

 しかし進級後、掛け算九九暗記で挫折(ざせつ)。当時の担任教師は「彼は1の段と5の段は覚えられたが、3の段と7の段がどうしても覚えられなかった」と当時を振り返る。そのため「学年相応の学習目標に達していない」と校長に報告。条例の定めるところに従い、坂田君の留年措置が決定した。

 進級した元同級生たちは2018年に卒業したが、坂田君はそのまま2年生で停滞。だが、九九暗記も残すところ7の段だけになっていたため、無事3年生に進級することが確実視されていた。

 しかしその翌年の2019年、坂田君は不慮の交通事故に巻き込まれて記憶喪失に。幸い自分の名前など日常生活に関わる記憶に問題はなかったものの、知識の面においては、数字が読めなくなるレベルにまで記憶が後退。数字の読み書き、足し算引き算から学びなおすことになった。

 これらを再習得するのに費やした期間は3年。時はすでに2022年。坂田君は16歳に成長し、同級生のほとんどは高校に進学していた。身の丈に合わないランドセル姿の16歳少年は当然のように周りの目を引く。「橋下改革の犠牲者」として同情の声がある一方、大阪であることが災いし、「アホの坂田」として嘲笑の対象にもなった。

 そして現在――。坂田君はついに7の段だけを残すまでに知力が回復。この13年間で校長は4人、担任は9人が入れ替わっていた。

 23日、クラスメイトの提案で、坂田君二十歳の誕生会が開かれた。坂田君はジョッキに振舞われたビールを一気飲みしたあと、そのままの勢いで教壇に立ち、大きな声をあげた。

 「七一が七、七二・十四、七三・二十一、七四・二十八、七五・三十五、七六・四十二…」

 担任、クラスメイト、報道陣の目が坂田君に集まる。

 「七七・四十九、七八・五十六…」

 いよいよだ。

 「七九・六十三!」

 クラス中から一斉に歓声が巻き起こる。クラスメイト達が坂田君に駆け寄り、胴上げを始めた。しかし身長187センチ、体重105キロの巨体を持ち上げるには、あまりにも非力すぎた。宙を舞った坂田君は床で頭を強く打つと、そのまま近くの病院に運ばれていった。

 「七九・二十六!」

 それが目覚めた坂田君の第一声だった。

【カビゴンべの私見】
小生が小学校時代は病気などで出席日数不足※で留年した小学生がたまにいました。
今はところてんの様に出席日数が足りなくても進級卒業できて、留年することは滅多に無くなって来ましたが、
留年制度導入により、教育がシビアになってきてたか?
もし、小生だったら持病で毎年多く休んでたから、留年になっている可能性があったと思います。
もし留年していたら、他校に転校して心機一転に頑張り、人間関係もやり直せるチャンスが出来ると思います。
そして、同学年同年齢を越えたお仲間づくりに、年の差に関係なく、
それは留年から生まれた【愛】へなるでしょう。

あなたは留年の経験はありますか?


※目安は1年の出席日数の3分の1を越えると留年となります。