母親が危篤である。

 

いや、危篤は言われていないけど、とにかくここ数日で亡くなるであろう状況である。

 

 

去年の11月。実家に帰った時に、母親が急に痩せたように感じた。

でも年も取ればそういうこともあるのかなとやり過ごしていた。

 

母親は内科・整形外科に定期受診していたが12月中旬の定期受診も異常なし。

 

それが12月末。

12月30日、父親から母親が調子悪くて体に力が入らないから救急外来行ってくるとの連絡があった。

その時の救急外来では特になんてことなくて、体に力が入らないのは足が痛いんじゃないの・整形外科から出されているカロナール飲んでればと医者に言われて帰宅。(やぶ医者)

その日は毎年恒例の実家での餅つきで、普通には歩いていたけども疲れるみたいで座っていることが多かったな。

 

1月2日、兄から電話。やはり調子が悪くて救急外来行ったら、重度の貧血とのことで入院となった。

 

重度の貧血か。考えられるのは胃癌とかかな。

胃癌、手術して胃摘出したりしたら食事どうすんだろ、とか考えていた。

そしたら1月16日、膵臓癌末期で余命1ヵ月との宣告を父親が受けた。

沈黙の臓器といわれる膵臓。本当に末期になるまでわからないもんなんだ。

本人には告知せずに、 病院看取りの方針とする。

 

でも、普通に喋るし動くし、このまま病院看取りとするのもなぁと思い、1ヵ月程度なら私が介護休暇取って平日日中見守り、夜間・休日は父と兄におまかせ・でも具合悪くなったら病院に戻るとの方針で退院することにした。

急いて介護保険申請して、知り合いのケアマネにお願いしてポータブルトイレ・シャワーチェア・介護ベッド導入。

(ADL自立だったけど、実家は古い造りのため、一旦玄関で靴履いて歩いて靴脱いでトイレに行かなければいけないため、ポータブルトイレ準備した)

主治医にも配慮してもらって、レスキューもしっかり準備した。

介護休業も申請して1月27日退院。

日中実家に通う生活が始まったが、介護休業とは言いつつも、母親は介護が不要な状況だったので、めちゃくちゃ暇だった。

ポータブルトイレの片付けも自分でやっていた。それなら普通のトイレに行けよと促したが、めんどくさいのか倦怠感あるのか、ほとんどポータブルだったな。

入浴もシャワーチェアさえ準備しておけば自立だった。

 

食事量は少なかった。元々偏食・小食の人だったけど、更に少なくなっていた。

一口~二口くらいだったんじゃないのかな。水分は普通に摂れていたし、内服も問題なし。

2月16日は余命宣告から1ヵ月だったけど、元気だったな。

2月中は介護休業取る必要なかったのではないだろうか…

そしてだんだん実家に行く時間が短くなっていくのであった。

 

2月いっぱいで私の介護休業が終わり、仕事復帰。

そしたらもう数日で調子悪くなってきて、食事がほとんど摂れなくなる。

訪問看護からも腹水がたまっているとの報告。

3月8日訪問診療後主治医から腹水抜くのに入院した方がいいと。

私はこれが最後の入院で、もう帰ってこれないだろうなと思ったけど、父と兄はどうだったろう。

そして3月9日入院。腹水は1500cc抜いた。

入院後まもなく痛みも強くなってきて、疼痛コントロールが治療のメインに。

主治医とも病院看取りの方針でお話しした。

面会に行った父も、あの感じだと自宅に戻るのはとても無理だなと話していた。

 

そして今日。午後から兄が面会。

その後病院から連絡があって、血圧が低下したので、今のうちに父も面会したほうがいいと。

死亡時着用する浴衣と下着を病棟に届ける。父もバスタオルを届ける。

ここ数日でめちゃくちゃ痩せていて、祖母(母の母)にそっくり。

もうモルヒネの影響か具合が悪いからか、声かけても反応なかったな。

亡くなるんだな、と感じた。

 

急に病気になってびっくりな展開だけど、宣告された余命よりは長かったし、自宅で過ごす時間もあってよかった。

いいタイミングで入院できたことにも感謝だ。

 

さて。いつ病院から呼び出しくるかな。

明日も面会だ。