昔、本屋でおじさん達が時代小説コーナーのところにかたまっているのを見かけると、私もそのうちそうなるのかなと思っていたものです。


もちろん、若い頃から時代小説を読んでいる方もいるでしょう。逆におじさんになってからも読まない方もいることでしょう。


また、男性に限らず女性でも時代小説を好む方がいてもおかしくはありません。


ただ、私の場合は読むことは無かった。別に毛嫌いしていた訳ではなく、単純に興味が無かった。のですが、ここ何年かのうちに読むようになったから不思議です。


———では、なぜ急に興味が湧いたのか。


今夜はその辺について語っていきます。


皆さん、初めまして。加部カタルです。


今回のテーマは「なぜ、私は時代小説を読むのか」。はたまたなぜ急に時代小説に興味が湧いたのかということです。とりあえず私の読書遍歴からお話していきたいと思います。


小学生の頃、夏目漱石と江戸川乱歩にハマっていました。漱石先生は当時の私には少し難しかったかもしれません。一方、乱歩の方はあの少年探偵団シリーズですから、読むのに相応しい年代だったと言えましょう。


いま思えば、この時期がその後の私の読書偏向の基盤を作ったのだと思います。その後、中学、高校では赤川次郎。また、高校時代には太宰治を中心に読んでいました。


ここまでにおける、共通項として二つのことが言えると思います。一つは明治から昭和初期にかけての小説であること。もう一つはミステリー小説であることです。


ミステリーの方はひとまず置いておいて、ここで着目したいのは明治から昭和初期にかけて、いわゆる近代の小説を好んで読んでいたということです。


漱石先生、森鴎外、芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫などなど。もちろん乱歩もその中に入ります。


この時代の作品を読むには、分からないことを調べたり、ある種の想像力を働かせたりしながら読み進めなければならない一面があります。


例えば、太宰治の『列車』に出てくる列車の三等客車は現代には存在しません。


具体的にどういったものなのか。 とりあえず一等、二等、三等の違いについて、新幹線でのグリーン車と一般車両の違いのようなものかと想像するわけです。


ところが、実際にその作品を読んでいた頃はグリーン車に乗ったことがありませんでしたから、実感としての想像には程遠く。


まあ一等というくらいだから良いところなんだろう。くらいの想像で済ませるしかありませんでした。今ならググるという選択肢があるのですけどね。


列車といえば漱石先生の『坊ちゃん』に出てくる「マッチ箱のような汽車」。これも大いに想像を掻き立てられました。汽車自体、実物を見たことがありませんでしたし。テレビで観たものや遊園地の乗り物を繋ぎ合わせてイメージしたものです。


また同じ日本という国でありながら、現代とは物質的なものだけではなく、精神的なものさえ少し異なっている印象を受けたものでした。


近代化が進む中での人々の姿は、現在と同じようなことで喜びそして悲しむ一方で、今では考えられないような考えを平気で持っていたりするのです。


似て非なる世界観。そこにある種のファンタジー性をはらんだものを見出していたのかもしれません。また、その世界観こそが私を大いに惹きつけたものなのではないでしょうか。


さて、少し話が飛躍しすぎた感が否めないことを自覚した上で少しまとめます。つまり、近代と現代とのギャップにのようなもの。そこに私は魅了されたということだと思います。


とはいえ、現代作家の小説を読まなかったのかと言うとそうではありません。前述の赤川次郎や村上春樹など、その時その時の話題の小説などを手に取っていました。


その中で、私が時代小説へ興味を持ったきっかけとなったのが宮部みゆき著『三島屋変調百物語』シリーズでした。


数年前の夏。本屋に出かけると、時代小説コーナーの平台の上にシリーズの最新巻が置かれてあるのが目に留まりました。


普段なら素通りしてしまうコーナーでしたが、 時代小説は時代小説でも怪談話なら、そして宮部さんの作品ならと興味が湧きました。


宮部さんの作品は30年ほど前に『レベル7(セブン)』を読んだことがあり、さぞかしスリラー性の高い怪談話が読めるのではとの期待があったのです。とりあえずシリーズ一巻である『おそろし』を購入しました。


ところが、少し思っていたのと違う。いや、正確にいえば想像していたものと違う角度から描かれた怪談話だったのです。


単なる怪談話というより、ファンタジー性の感じられる怪談話。連作短編集という形を取りながら、そう感じられる話が見受けられるのです。何という面白い試み。


ただ、私が着目したのはその点だけではありませんでした。果たして舞台が現在であったならば、同じような印象を受けたのだろうか。ということです。


宮部さんは現代小説も時代小説も書かれる作家です。では何故、今回は時代小説として描いたのか。


恐らくは「似て非なる世界観」を用いる効果があったのではないでしょうか。例えば、夜の闇など現代とは比べものにならないほど深かったことでしょう。また、現代なら科学的に解明できていることさへ、不思議な現象として取り正されるに違いありません。


つまり、現代社会では成し得ないファンタジー性を舞台設定にとして取り入れたということなのではないでしょうか。


このことに気が付いた時、私の中である思いが芽生えました。今回はたまたま怪談話だったけれど、そうではない時代小説ならどうだろう。案外、面白く読めるのではないか。こうして今まで眼中になかった時代小説に関心を覚えたのでした。


その後、宮部さんの他の『三島屋』シリーズはもちろん、宮部さんの怪談ものや時代物ミステリーを読み漁り、さらには他の作家による時代小説も読むに至ったのでした。


こうして私はかつての私自身が予言した通り「時代小説コーナーにかたまるおっさん」の仲間入りを果たしたのです。


ということで、今回はこの辺にて。