「・・・ジェロニモは?」

 「ああ・・・大分落ち着いてるよ。まだ声は出せねぇ・・・ていうか、出しちゃいけねぇって、今日も医者に釘刺されてたけどさ。」


 「そうか。」
 「うん。・・・でもあの感じなら、思ってたよりずっと早く退院出来るんじゃねぇかな・・・。流石、若いヤツは回復力が違うっていうかさ。」
 「・・・そりゃ俺への皮肉か?」
 「はは・・・・・・悪ぃ。皮肉だ。」



 まるで普段と変わらない――とは言え仲間になってまだ日の浅い俺は、こいつとこんな風に二人で話した事など皆無に近かったが――会話。

 だが一方で、やはりどこか普段とは一線を画したそれ。

  
 まだ起きているのは辛いのか、苦しげな呼吸に合わせて胸と肩が大きく上下している。
 そしてやや右に首を傾けたその白い顔には、単なる体の痛みに因るもの以上の何かが見え隠れしていた。


 「試合・・・テレビで見たよ。」
 「そうか。まあ、完敗ってやつだな・・・。」
 「けど、本当にすげぇ試合だった。」
 「・・・ああ。」
 「あいつら・・・いきなり空から降ってきた時は全然信じられなかったんだけどさ。今思うと、もしかしたら本当に・・・俺らの後を担う奴らなのかもしれねぇな。」


 
 部屋を訪ねてきてからずっと同じ表情――微笑――を湛えたJr.の口元。

 だが奴がこちらに注ぐ視線は何度も俺の顔と胸の辺りを彷徨い、まるで捨てられた仔犬か何かのように、弱々しく寂しげだった。


 ―――ジェロニモも若いが、そういやこいつだってまだ十八だもんな・・・。


 北欧系の整った顔。

 絹のように青白く光る頬、そして、スッと通った高い鼻と薄い唇のせいで、普段軍服に身を固めた奴は、それこそ黙って立っていると――実際かなり大人びて見えた。



 だが今はどうだろう。


 プラチナの髪と同色の長い睫毛に縁取られた二つの瞳はとても大きく、まるで世の汚れなど何も知らない幼子のように深く澄んでいる。


 深い、綺麗な蒼色。
 だが、悲しい、寂しいその色。

 そして、そんな瞳の色そのままな心の奥底が、その透明さゆえにまるで隠し切れていないのだ。



 ―――こうして見ると、確かにまだガキだ。



 ふと、先のタッグトーナメントで俺にフォールを促した奴の言葉が蘇る。

 大して知っている訳でもないが、だがその記憶の中でも奴は常に前だけを向き、そして決して、何者にもどんな時でも―― 一瞬たりとも背を向けなかった。



 正直、今こうしてJr.の素顔を間近で見るまでは、ただ単純に“無謀な奴”くらいにしか俺は思っていなかった。
 

 ―――だがそれは違った・・・。こいつは自分の“弱さ”をちゃんと分かっている。

 ―――分かっていて、そしてそれを知られる事こそを恐れて・・・だからこそ隠す。


 ―――隠して、秘めて、押し殺して・・・そして、滅多に見せないんだ・・・・・・。



 「何・・・?」
 「いや・・・確かに俺も思ったぜ。お前がジェイドとかいう超人に何かを感じたように、俺もあの二人に・・・特にカオスって奴には、とんでもねぇ力を感じた。」
 「・・・そっか。」
 「ああ。」



 さっきよりも、少しだけJr.の表情が和らぐ。
 そして、それに酷く安堵している自分が居る。



 もちろん何の確証も無いが、それでもこいつが常に軍帽を目深にしていた理由が少しだけ分かったような気がした。






 「・・・。」
 「・・・。」


 それっきり会話の途切れた部屋に、外の廊下を歩く誰かの足音が響く。
 
 口を閉ざした二人の視線が、交わっては離れるを繰り返す。


 
 だが、仕方の無い事。

 なぜなら今この場で出来る余談は、とうに尽きてしまったのだから。






 タッグ戦二回戦Aブロックの第二試合。
 相手の必殺技を食らい完敗した俺は、その試合終了直後この病院に運ばれた。



 根元から折れてしまった角。大きく裂けた腹。

 そのボロ布のような様は正に“敗北者”そのものだったが、正々堂々、己らの力を精一杯発揮した上で負けたその試合内容には十分満足していた為か、心は至極穏やかだった。


 ―――そう・・・悔いなど、無い。だが・・・。


 ここに運ばれてきたのは俺一人だけ。
 パートナーは試合終了直後、自らこの世を去った。 



 己の全てを賭けて“新たな力”に未来を託し、そして消えたモンゴルマン――いや、ラーメンマン。


 もちろん、あれほど信頼していた奴を失った事はとても辛い。
 だが奴の意思を尊重しあえて黙って見送った己の選択は今でも間違ってはいなかったと信じている。


 ―――むしろ、あれ程実力のある奴の最後の戦い。それを共に戦えたんだ・・・。

 ―――こんなに光栄な事など無い。ただ・・・・・・。



 ただ、それは自分自身がそうであるという事だけ。
 己がそうだから皆そう思っている――思うべきなのだ――と、流石の俺もそこまで暴君では無い。
 


 ―――こいつは何を想ったのだろう・・・。



 こいつが恐らく最も慕い、そして尊敬していた男の戦いぶり。
 気の利いた慰めの言葉など知らないが、奴が望むならそれくらいはいくらでも話してやろうと思っていた。


 小さな画面を通しては分からない、それこそ一番身近でその勇士を目に焼き付けていた自分にしか出来ない事。

 そしてそれこそが、奴がここに来た理由だと、そう思っていた。



 いたのだが・・・・・・。



 「・・・。」
 「・・・。」



 ひたすら流れるのは、言葉ではなく沈黙。


 
 ここに居るのは二人だけだが、もし他に誰かが居たら、間違い無く俺達の――特に俺の――姿は、さぞ滑稽に映ったに違いない。 



 普段なら何も躊躇う事なく切り出しただろう。

 だが情けなくも、俺はJr.の言葉を待ち続けていた。
 





 それからどれだけ時間が経っただろうか。
 ようやく待ちわびたJr.からの言葉は、しかし全く自分の予想していたものとはかけ離れていた。



 「さて・・・と。じゃあ、そろそろ戻るよ。」
 「え・・・おい―――」
 「邪魔したな。とりあえず、今日はゆっくり休んでくれよ。」
 「お・・おい、・・・待て!」


 俺は咄嗟に、そう告げながら席を立とうとした奴の左の袖を掴んだ。

 上手くは言えないが、とにかくこのまま帰してしまってはいけない。
 何かに突き動かされるような――そんな切迫した想いが込み上げてきた。
 

 「ちょっと待て・・・。まだ俺はお前に何も話してねぇ。」
 「何だよ。そんな急に慌てて――」
 「見舞いが口実だとは言わねぇ。けど・・・でもお前、本当はもっと違う理由でここに来たんじゃねぇのか?」
 「え・・・―――」
 「今更隠すな。それに・・・もしも万一、俺に妙な気遣いをしてるのなら、そんなものも願い下げだ。」
 「・・・。」
 「モンゴルマン・・・いや、ラーメンマンの事なんだろ。」


 その名を口にしたとたん、掴んだ袖から伝わる力がフッと抜けた。

 やはりここに来たのはそういう訳だったのだと、一瞬過ぎった確信は、しかしすぐさま間違いだったと気付かされる。


 「ああ・・・その事なら、いいんだ。もう済んだから・・・。」 
 「済んだって・・・お前―――」


 相変わらず微笑を湛えた顔の、その眼だけが見る間に悲しみに呑まれてゆく。
 

 「いや・・・俺・・・さ。あの一部始終・・・もちろん、ずっとテレビで見てはいたんだけど。でも、何か実感が湧かなくてさ・・・。」
 「・・・。」
 「だから、あれは実は嘘で、本当はお前と一緒にここに居るんじゃねぇかって思って。で、思い始めたら、確かめずには居られなくなって・・・・・・それで、来ちまった。」
 「・・・。」
 「けど、この部屋の扉を開けたら、やっぱり居たのはお前一人だった。そして、やっと実感が湧いた。自分でも不思議なくらい・・・納得出来た。はは・・・ホント、馬鹿馬鹿しい話だよな。」
 「お前・・・・・・。」


 さっきまでとは違う理由で言葉を失う自分。



 「やっぱ・・・本当に、居なくなっちまったんだな。師匠・・・・・・。」






 消え入るような語尾と共に流れた一筋の涙。
 

 ゆっくり、ゆっくりと頬を伝ったそれは、やがて音も無く奴の膝の上に落ちた。