まるで二人の間に流れる沈黙を掻き消すかのように――そして余りに突然の出来事に戸惑う自分をまるでからかうかのように――、周囲を囲む木々が一斉にざわめき出した。
春と夏。
その、丁度境目に当たるこの国にしては珍しい程晴れ渡った空。
まだそう高くは登っていない太陽の光が、枝葉の隙間から差し込み自分の顔をチクリと刺した。
「・・・。」
「・・・。」
殺す為の技。
力を――血を――得る為の技。
その為だけに鍛えた自分の腕。
その二の腕に刻まれた証を服の上から強く握りながら、俺は深く一つ息を吐いた。
―――何を迷う・・・。
相変わらず真っ直ぐな視線を自分に向けるニンジャ。
敵意が籠らない奴の眼差しは本当に不思議な程柔らかで優しげで、そしてそれは、この期に及んでまだ“何か”を躊躇(ためら)う自分自身の心を――心の弱さ、ずるさを――、見る間に溶かしていった。
―――そうだ・・・今更何を迷う必要があるってんだ・・・。
“私が見込んだお前は恐らく誰にも言わないだろうし、そのお前が言いたいなら言えばいいさ・・・。”
あの日、ソルジャーが自分に向かって言った言葉が脳裏を過ぎる。
「っ・・・。」
多分それが“心から相手を信頼する”という事なのだと、ついこの間彼から学んだはずだった俺は、けれど結局何一つ成長出来ていなかった。
それをまざまざと思い知らされた自分の口からは、呻きにも似た小さな音が洩れた。
―――そう、こいつも自分と同じ・・・。自分を認めてくれたソルジャーが選んだ仲間じゃないか・・・。
―――今の自分が、最も信じていい“同志”じゃないか・・・・・・。
意を決し、そしてもう一度息を吐き真っ直ぐ向き直る。
「決めたんだ・・・。この技に・・・手にはもう頼らないって。」
「・・・。」
「もう二度とこの技では殺さない・・・。自分の力だけで、強くなるんだって・・・・・・。」
未だ師匠を除いた仲間の誰一人にも話していないその理由。
何一つ包み隠す事無く、俺はその全てを話した。
あれだけ多くの経験と知識を持つ師匠ですら、驚きの色をありありとその顔に滲ませた自分の体――徽章――の秘密。
だがニンジャは眉一つ動かす事無く、ただじっと自分の言葉に耳を傾けていた。
「そうか・・・だからお主はあの時、拙者を従えて死を選んだのだな・・・。」
「いや・・・何度も言うけど、どっちにしても俺の選択肢はあれ一つしか無かったさ。ただまあ・・・確かに、焦りはあったけどさ。」
奴との死闘。
その正に真っただ中、奴の放った炎を消す為放った己の軍帽。
次から次へと追い込まれてゆく自分に訪れた、もう何度目かもわからないその危機を何とか脱する為、俺は軍帽を徽章ごと投げた。
だがそれは本当に、自分にとっては自殺行為にも等しい相当な“賭け”――一族の最たる機密であるこの徽章を他人の前で手放したという事はもちろんだが、“意思”を宿らせたままとはいえ徽章を失った自分の体は、緩やかにではあるがやはり力を失ってしまう為、場合によってはかえってピンチを招きかねなかった――だった。
―――もっと自分が強ければ、あんな無様な手段を選ばなくても済んだのに・・・。
ようやく納得の表情を見せた奴に、しかしふとあの時の悔しい感情が湧き上がった俺は皮肉交じりに呟く。
「にしても、あんま驚かねぇんだな・・・。」
「いや・・・十分驚いた。」
「そうなのか?」
「ああ・・・。だが、それくらいの理由でなければ納得いかなかったのも事実。それに、もうかなり昔の事にはなるが・・・拙者、かつての同朋から似たような話を聞いた事があるのだ。」
「え・・・!?」
恐らく、この手と技の事を問われた以上に驚きの表情を見せた自分に、しかしニンジャは相変わらずの様子で淡々と言葉を重ねた。
「この世のどこか。果たして、それがどこなのかまでは知らんが・・・。何でも超人の力を自在に与えたり奪ったり出来る不思議な石があるとか。」
「あ・・・それ―――」
「そしてその石はとある由緒ある一族が所有し、代々大切に守り続けている―――とまあ、そんな噂話だ。もちろん、そなたのそれとは違うだろうがな・・・。だが―――」
「・・・。」
「この国の内乱の世から約六百年。それこそ、この城が築かれるよりも遥か前から、拙者の祖先は社会の闇の中で生きてきた。だからこの手の話も、お主が思う程珍しい事では無いさ。」
「・・・・・・そっか。」
「それとも、もっとあからさまに驚いた方が良かったか?」
「いや・・・そんな事はねぇけど・・・・・・。あ・・・でも、その石の話なら俺も昔、屋敷にあった本で読んだな・・・。確か、元々が超人でなきゃ、そもそも効き目は無ぇみたいだったけどさ・・・。」
「・・・。」
「でも、もしも本当に何のリスクも背負わずに力を操れるなんて事があるなら、是非見てみたいとは思ったな・・・・・・。」
「・・・ああ。」
そこで初めて笑みを見せたニンジャの穏やかな表情に、ついつられて自分の頬も緩む。
ふと湧き上がった悔しさも、そしてずっと抱いていたつまらない“負い目”すらも跡形も無く洗い流されてゆくような。
それは本当に心地良い感覚だった。
―――こいつは、こういう風に笑うんだ・・・。
ようやく心を通わせられた二人。
その確かな手ごたえを共有しながら続けた会話は、もはや長年同じ時を過ごした友人同士のそれと何ら変わらなくなっていた。
「それで・・・お主が背負ったその“リスク”は、あとどの程度の余地があるのだ?」
「さあ・・・どうだろう。明日突然お迎えが来るのかもしれねぇし、実はまだまだ先なのかもしれねぇ・・・。それこそ、“神のみぞ”―――かな。」
「・・・そうか。」
憐みとも、同情とも違う。
奴の目に浮かんだ、その安らぎさえ覚えるような独特な憂いの色に、俺は精一杯の笑顔を返した。
「でも何にせよ・・・、今回の戦いが多分自分の現役最後の戦いになると思う。」
「・・・。」
「だからこそ精一杯戦い抜いて、そして、俺達のキャプテンが想い描く未来を実現させたい。」
「・・・。」
「そしてこの戦いで何かを残せたら・・・。どんな些細な事でもいい。何かしらの礎になる事が出来るなら、俺は本望だ。」
「そしてそこで死ぬ・・・か?」
「それこそどうだろうな・・・。でも、思いっ切り戦って満足して、そしてその中で死ねたら、きっと最高に幸せだろうな・・・・・・。」
かつての仲間達なら間違い無く思い直すよう説得しただろう、そんな死への甘やかな想い。
だがニンジャは、それ以上何も言う事は無かった。
ふと強く吹き抜けた風に、周囲の木々が再びざわめき立った。
その音、そして葉の隙間から覗いた太陽の光に反応し、黙り込んでいた二人の視線がほぼ同時にその方を向く。
自分達を取り囲むそれらの中でも一際大きな一本の木。
すると、その木を見ながら再びニンジャが口を開いた。
「これだけ立派な木・・・さぞ見頃の時期は綺麗だろうな。」
目を細めながら、まるで独り言のように呟く奴に、今度は俺の方が問いかける。
「・・・この木がどうかなるのか?」
「ん・・・お主、見た事は無いか?桜だ。」
「サクラ?」
「ああ。春の、ほんの僅かな時期に薄桃色の花を咲かせるのだが・・・―――」
恐らくこれまでで一番穏やかな声色でそう言うニンジャの視線の向く先。
見上げたその枝は確かに四方八方に伸び、立派と言われれば確かに立派だった。
けれど、至って普通の木にしか見えない。
―――そんなに珍しい花なのか・・・・・・?
深い茶色の幹と枝。春らしい明るい色の葉を茂らせたその木に対して、なぜ奴がこんなに柔らかな表情をするのかが、自分には全く分からなかった。
するといつの間に歩み寄ったのか、自分のすぐ目の前に穏やかに――けれどどこかしたり顔で、先とはどこか違った様子で微笑むニンジャの姿があった。
周囲の空気を一切動かす事無く距離を詰める、相変わらず見事なその身のこなし。
こんなに傍に居ても殆ど気配を感じさせない奴のその両の手が、静かに自分の顔の前に翳(かざ)された。
「目を閉じろ。」
「え・・・?何―――」
「その様子だと、恐らく口で説明するより早い。」
「ちょ・・・な・・何だよ・・・。」
「だから見せてやろうと言っているのだ。桜の花がどんなものかを―――」
自分の心中をまるで見透かすかのようにそう言いながら、奴は自分の視界を優しく遮(さえぎ)った。
戸惑いながらも言われた通り目を閉じたままじっとしていると、間もなく奴の指先に触れられた瞼の奥が、ジンと温かくなった。
「よし・・・いいぞ。目を開けてみろ。」
ニンジャの指が離れた後、やはり言われるがままゆっくり目を開ける。
―――え・・・!?これは・・・・・・。
「あ・・・。ニンジャ、これ―――」
「ああ。これが桜だ。」
白くぼんやりと、まるで靄掛かったような視界。
あとからあとから、雪のように音も無く降り注いでは自分の体を掠め落ちてゆく何か・・・。
再び見上げたそこにはさっきまでの様子から一転、見た事も無い不思議な景色が広がっていた。