ちょっとした一軒家程の大きさを有した書庫。屋敷と同じ外観を持つその建物の中には、大昔に書かれた一族に纏わる記録に始まって、歴代の頭首やその側近が趣味――というより、ただの暇潰しか気まぐれとしか思えないような無秩序さだったが――で集めた本、そして絵画を始めとする美術品の類が、それこそこれでもかと言わんばかりの様相で詰め込まれていた。



 石造りの古めかしい外観には全く似つかわしくない、最近家人によって取り付けられたプッシュキー式の鍵を解除し扉を開ける。
 決して良い香りとは言えない、だがなぜだか酷く安らぎを覚える古紙やら絵の具やらが混じり合う独特の匂いが、自分の鼻を擽った。


 目一杯開けた扉口から差し込む外光は、その部屋――しかも人一人がやっと通れる程度の通路を除いた全てを、書棚や箱で埋め尽くされた――には余りに心許無く、しかし眼が暗がりに慣れる間もないまま、長年に渡って身につけた勘を頼りに足を進めた。


 ―――確か・・・この辺りに・・・・・・。


 幼少の頃、自分が物心つく前に死んだ母親の事が知りたくて何度も一人で足を運んだこの場所は、その後も何か問題――他愛も無い日常の疑問から、徽章や一族の事、そして自分の体についての諸々に至る、それこそ様々な問題――が起きては訪れその手懸りになりそうなものを探し回ったせいで、また、滅多に人が立ち入る事も無い為知らない間に配置が変わるような事態もまず皆無と言って良かった事も手伝って、今ではそこに収められているものの大半を記憶するに至っていた。



 程なく奥の書棚から目当ての本を探し出した俺は、それを手に比較的明るい場所まで移動すると、目に留まった手頃な大きさの荷物の上に腰を下ろした。






 日本製のその本は、筆で書かれた数種類のタイプの文字の横に自分でも読める印字が添えられた辞書のようなもので、他の山のような美術品と同様、一体いつ誰が何の目的で手に入れたのかについてはさっぱり見当も付かなかったが、少なくとも今、自分がこの手紙を解読する、恐らく唯一の手掛かりであるには違いなかった。


 ―――とりあえず・・・「平仮名」だな。


 幸い、その手紙の文字は半分以上が平仮名であろう文字で書かれていた。
 だからその部分が分かれば、何かが分かる、もしくは何かを思い出すのではないか。そう考えていたのだった。


 もちろん、こんな非効率かつ安易なやり方で果たして答えに辿りつけるのかという懸念は多分にあった。
 だが突然自分の手に舞い込んだこの不思議な“難題”に対し、弟子の成長を見守る以外に何の刺激も無い生活を送っていた自分は、例えば難しいパズルを解くかのような、手探りなその作業自体を楽しんでいる体も否定出来なかった。


 ―――これは“あ”か・・・・・・。“い”は・・・無い。“う”・・・も・・・無さそうだな・・・。


 本の頁を一枚一枚めくっては、そこに書かれた文字と同じものが手紙に含まれていないかどうかを確認してゆく。
 多少の手間は掛かるものの作業自体は至極単純なそれは、始めこそ若干難儀したものの、すぐに軌道に乗せる事が出来た。


 間もなく書かれた全ての平仮名が――正解か不正解なのかはさて置いて――読めるようになった俺は、開いていたその本を一旦閉じ、改めてその手紙を眺めながら一字一字の音を小さく口にした。


 「り・・・な・・・く・・・る・・・そ・・・め・・・・・・。」

 「き・・・あ・・・・・・。」



 一つ一つの音は分かっても相変わらず全く意味を成さないその文字の羅列を、何度目か口にしたその刹那。


 ―――ちょっと待てよ・・・。もしかしてこれは・・・・・・。



 あの、自分の現役最後の戦いの地。

 もう数十年も前。そこで仲間に教わった、詩のような、呪文のような不思議な響きを持った言葉が脳裏に湧き上がった。




 「のこり・・・なく・・・ちるぞめでたき・・・・・・さくらばな―――」




 全てを調べる必要はもはや無かった。


 音程がある訳でも無く、しかも親しみの欠片も無いはずの異国の古い詞(ことば)。
 けれどそのくせ妙に心地良い流れを紡ぐその“歌”こそが、この手紙に書かれた文字の正体であるという推測は、もはや自分の中で揺るぎない確信に変わっていた。






 俺は書庫を後にすると、再び送られてきた荷物を置いたままにしていた居間に戻り箱を手に取り、その足で自室へと戻った。


 部屋の扉が閉まる音に誘われたのか、口から微かな溜息が洩れた。

 机の隅に荷物の一切を置き、傍らの椅子に腰を下ろす。
 そして久しく感じて居なかった頭を使う事による独特の気だるさを解消すべく、被っていたものを脱ぎ去ると、そこから現れたすっかり色の抜けた自分の髪を軽く掻き毟った。






 自分に宛てられた包み。
 そこに入っていた、酒と、そして不思議な手紙が意味するもの。


 ―――結局・・・見られないままだったな・・・・・・。

 ―――だが奴はこの間・・・・・・。とすると、何かしら先に手を打っていたのか・・・?
 

 奴が自分に見せてくれた景色、そして交わした言葉の数々が、次から次へと脳裏に浮かんでは消え、また浮かぶを繰り返す。



 その余りに儚い、そして今となっては憂いを伴わずにはいられないはずの記憶を前に、しかし俺はなぜだか微笑まずにはいられなかった。