中に入る前、必ず奴は自分の頬にキスをする。



 合図のような。
 何かの言葉のような。


 軽く触れるだけのそれが妙にくすぐったくて、俺はつい、目を逸らしてしまう。






 鈍く光る黄金色の目が、自分の方に向けられる。


 普通の人間のそれと違い、全体がほぼ同じ色をしているせいで、時々奴がどこを見ているのか分からない事がある。



 その度に過ぎる不安。



 正直、こんな事をやっている今この時ですら、不安はある。
 所詮は他人な奴が、一体どこまで“自分”を見ているのか――見えているのか――なんて、決して分かりはしないから。



 ただ、普段と今と一つだけ違う事がある。
 それは、その光が今は、とてもとても優しいという事。



 もしかすると自分は、この柔らかい光を見るただその為に、こいつとこういう事をしているのかもしれない。


 そんな風にすら思う程、それは今、何よりも優しい光を湛えている。






 これまで何度も――それこそ数えきれない程――、誰かと体を繋げてきた自分。


 色々なもので、そして手段で。
 さんざんこじ開けられ、慣らされたはずのその場所。



 なのに。


 なぜかこいつと繋がる事だけは未だに全く慣れない。



 決して大きくはない自分の体。
 今それは、覆い被さる奴の影の中に完全に隠れている。



 自分の場所から見えるのは、奴の顔と、奴の髪、そして奴の二本の角。

 ただ、それだけ。



 視界の右側が少しだけ明るいのは、多分月のせいなのだろう。



 熱を帯びた体。
 それにはかえって丁度良いくらいの冷たい風が、さっき奴が口付けた場所を掠めてゆく。






 「・・・っ・・・・・・。」
 


 二人の体の下半分を覆うシーツ。
 その下。大きく開かされた自分の両足の間に、奴の腰が割り込んでくる。



 無意識に強張る体。
 早まる呼吸。


 それらを宥めるように、奴の大きな左手が自分の髪を撫でる。


 ゆっくりと。
 何度も何度も撫でられる髪。
 普段人目に晒す事のないそれを、奴は好きだと言う。



 ゆっくり。
 ゆっくり。

 左手は髪を撫で続ける。






 自分の口で濡らしたそれは、触れると一瞬冷たく、けれどとても熱い。


 少しずつ。
 けれど確実に。

 自分の中に、奴が入ってくる。



 体の外と中に走る痛み。



 静かに、それでいて容赦無いその感覚は、けれどそれまで自分が感じてきた――そして“そういうものなのだ”と信じて疑わなかった――それらと比べれば、むしろ心地良いとさえ思える。



 左手は、相変わらず髪を撫で続けている。






 長くも短くも感じられるくらいの時間をかけて、ようやく半分くらいが自分の中に収まる。

 それは、シーツの中に収められていた奴の右腕が自分の左脚を抱え上げた事で分かる。



 僅かな体勢の変化で新たに生じた痛みに、体が反応し、そしてその排除を訴える。



 「う・・・あ・・・・・・。」



 奴が腰を進める、その度に悲鳴を上げる体。
 一方でさらに先を、さらなる痛みを望む心。



 どちらも真実で、だから余計にその矛盾が、自分の思考を麻痺させてゆく。




 

 元々繋げられるようになど出来ていない体。
 それでも繋げたい、繋がりたいと思うこの欲求の正体を、俺はまだ見つけられていない。



 今までさんざん無茶をされ、そして自ら望んで無茶苦茶にもした体。
 


 外に、内に。
 体に出来た無数の傷から滲んだ膿が、やがて頭も感覚も、己の心までもを侵し、そして腐らせていった。
 


 汚れた体。
 そんな、自分の体。



 それでもこの、目の前に居る一人の男ともっと近づきたいと望む気持ち。


 今この時だけでもいい。
 一つになりたいという気持ち。



 確かに嫌いではない。
 好きなんだろうと思う。



 けれどこれが愛なのかどうかなんて事は、聞かれても分からないし、きっと一生自分には分からないのだろうなとも思う。






 未だ自分が胸を張って“愛している――いた”と明言出来るのは、ファーターただ一人しか居ない。


 少し悲しい気もするけれど、一方でそのままを望む自分も居る。



 きっと死ぬまで、自分はこんな感じのままなのだろうなと思う。






 ただ、そんな分からない事だらけの中で唯一確信出来る事がある。


 節理に反した行為。
 これは、“罪”だという事。


 それだけは確かだと思う。

 

 だからこれしきの苦痛は仕方無い。



 むしろこの痛みがあるからこそ、こんな狂った事が出来るのだとさえ思う。



 それに、恨み・憎しみの無い間柄では、苦痛は与えられるより、与える方が何倍も辛い。


 それもまた、数少ない確かな事。


 それを知り、それでもあえて自分に痛みを与えようとする、目の前の男。
 その事に酷く安心する。

 



 
 「っあ・・・・・・っ!」
 

 残りの全てが、自分の中に押し入ってくる。


 思わず漏れる声。



 奴の左手は、相変わらず自分の髪を撫でている。
 


 奴の肩を掴んでいた手。
 その片方、自分の左手を奴の右手はそっと掴むと、左の枕元に押し付けた。


 「Jr.・・・。」



 自分の名を呼ぶ、その心地よい音の響きに、視界は滲み、歪んでゆく。






 体の奥。
 そのどこかで、小さく何かがちぎれるような音がする。


 動きに合わせて漏れる声。
 抑えられないそれ。
 
 分からない何かが、どんどん溢れてくる。

 

 やがて、痛みが別の感覚と混ざり始める。



 自分の左手に重ねられた右手。
 相変わらず髪を撫で続ける左手。



 目から伝った涙の跡の上を、また風が掠めた。






 自分の中に居た奴の体が出てゆく違和感もまた、未だに慣れない感覚の一つ。


 満たされたはずのその場所に出来る、新たな空虚。
 それを少しでも紛わせたくて、俺は奴の、汗で濡れた背に腕を回す。


 「ん・・・?どうした?」
 「別に・・・。何でも・・・ない。」



 熱を吐き出す、その特有の気だるさの残る体を、奴の胸に埋める。



 未だ奴の左手は自分の頭の上。
 全てを終えてもまだ、その手は止まらない。






 大きな胸。
 大きな腕。
 大きな手。


 そして、優しい光。


 自分と“同じ”で、そして“全く別の”それら。
 それが、今だけは自分ただ一人のものだと思える数少ない時間。



 相手の背に回していた腕に、つい力が入る。



 子供じみた独占欲。


 つい、笑ってしまいそうになる。






 眠りにつくその前、必ず奴は自分の額にキスをする。


 軽く触れるだけのそれが妙にくすぐったくて、俺はやっぱり、目を逸らしてしまう。



 優しい光と熱を纏った腕が自分を包む。



 一生だとか。
 永遠とか。

 そんな大それた事は望まない。



 ただ、目覚めた時も同じように――そこにあって欲しいとは思う。