それからどのくらい経った頃だろうか。
ジェロが目を覚ました。
「起きたか・・・?大丈夫・・・か?」
「・・・。」
“例の”薬のせいなのだろう。しばしぼんやりと天井を仰いでいたが、俺が起きている事に気付くと一瞬はっとした表情を見せた。
そしてゆっくりと起き上がると、自分のベッドの方へやってきた。
「ジェロ・・・。」
上半身を起こす。
膝を立てる。
体をこちらに向ける。
足を床に下ろす・・・。
そんな、普段なら気にも留めない動作の全てに逐一体を竦ませる――恐らく傷の痛みなのだろう――ジェロに、俺は何度も制止の言葉を掛けたが、奴は苦笑交じりに首を振るだけで止めようとはしなかった。
―――そうだ。声・・・。
病室は意外と広く、二人のベッドの間にはもう一つか二つベッドが入るくらいの距離があった。
リノリウムの床の上を歩く――というよりも引きずる奴の足音は、掠れた自分の声と同じくらい心許無かった。
「大丈夫・・・なのか?」
俺はベッドの傍らのパイプ椅子に腰掛ける奴に、もう一度そう声を掛けた。
こちらに歩いて来る時に浮かべていた曖昧な苦笑よりもう少しはっきりした笑みを湛えながら、ジェロは小さく一度頷いたが、その表情は瞬く間に憂いに掻き消されていった。
部屋の明かりは自分の枕元を照らす小さな照明のみ。
その為元々褐色のジェロの顔は、奴の背後に広がる暗がりに溶け込んで、今にも無くなってしまいそうだった。
あの試合から初めての対面。
長い髪から僅かに覗く奴の目には、あの時――俺の“共にリングに立とう”という提案を受け入れたあの時――の光は見る影も無かった。
静かにこちらを伺うジェロの口の端、そして胸に巻かれた包帯には、薄っすらと血の飛び散った跡が残っていた。
戦いの傷によるものではないそれは、まだ師匠達がここに居た時、静か過ぎるほど静かに眠るジェロの容態が再び気になりそれを尋ねた俺にテリーが話してくれた事を思い出させた。
“お前が何かを気にする事など無いのだが・・・。”
そんな前置きで始まったテリーの話によれば、まだ自分の意識が無い時、俺の右腕の接合が叶わなかった旨を聞いたジェロはかなり激しく取り乱したらしかった。
仲間の制止も聞かず、傷付いた喉もお構い無しに枯れ切った声を必至に張り上げながら――実際奴の口からは空気が喉を鳴らす音しか出てはこなかったそうだが――説明を行った医者に詰め寄った。そしてテリーとキン肉マンの二人掛かりでベッドに押し戻された奴は、それでも必死で抵抗しながら何かを訴えようと喉を震わせ続けた。そして最終的に医者に薬――鎮静剤の類――を打たれる事となったのだった。
白い包帯に点々と散らばる赤い染みが痛々しく目に映る。
常に気遣いを忘れないテリーの事だ。
その説明は恐らく自分に余計な心配をさせまいと、ごく端的な部分のみに留めたに違いない。
何よりの証拠に奴の右腕にぶ厚く巻かれたギプスの縁は、内側から滲んだと思われる血で真っ赤に染まっていた。
「暴れたんだってな・・・。」
「・・・!?」
「テリーから聞いた。ああ・・・喋らなくていいぞ。声、出ねぇ・・・っていうか、出しちゃいけねぇんだろ・・・。」
「・・・。」
はっとした様子で口を開こうとしたジェロに、俺はやや強い口調でそう告げた。
そして前のめりになった奴の体が再び椅子の背にもたせかけられた事を確認してから、話を続けた。
「馬鹿野郎が。・・・んな怪我で・・・血まで吐いて・・・。」
「・・・。」
「無茶するんじゃねぇよ・・・。治るもんも治らなくなるぞ。・・・だろ?」
「・・・。」
「ほら・・・俺もさ。この通り・・・まぁ、大丈夫とは・・・言えねぇけど。でも、思ったより・・・大丈夫だからさ。・・・・・・な。」
「・・・。」
声の出ないジェロに向けた言葉。
その全ての語尾に、俺は同意と念押しの意味を籠めた言葉を添えた。
だが、俺が何かを言えば言う程、奴の顔は下を向いてしまう。
「だから・・・お前もさ。まだ、そうやって座ってるのも本当は辛いんだろ・・・?」
「・・・。」
「だからほら・・・分かったらもう、ベッドに戻れ。・・・な。」
「・・・・・・。」
その言葉にようやく反応らしい反応を返したパートナーの首は、しかし縦ではなく横に振られた。
「ジェロ・・・。」
切なげな眼差し。
何かを窺うような、乞うようなしぐさ。
いつも年長の仲間達に慰められフォローされる側ばかりを経験してきた自分は、こんな時にどんな言葉を掛けてやればいいのか、正直全く分からなかった。
ふと師匠とバッファローマンのやり取りを思い出したが、仲間の中でも特に年長の部類に入る彼らの所作は、どちらも到底自分の参考になるものではなかった。
沈黙が流れる。
ジェロがなぜ、わざわざ痛む体を引きずってまで自分の傍に来たのか。
そして何を言いたいのか。
それは、大体分かってはいた。
もしも奴と自分が逆の立場なら、やはりそれを悔いるだろうから。
―――多分・・・自分の腕の事。
だが、その事を自分から切り出せるはずもなかった。