―――そうだ・・・右腕。


 俺は左に傾けた首を正面に戻すと、薄いシーツに覆われた自分の右腕のある方へと視線を移した。


 シーツから出ている右肩は、ジェロの体を覆っていたのと同じように、幾重にも包帯が巻かれ、さらにシーツの下からは何本ものチューブが伸びていた。

 チューブの中の液体。それが何かはもちろん自分には分からないが――少し色のついた液体。
 そのチューブの先、シーツに隠れた部分が意識を戻して初めて自分の視界に入った。


 左腕と胴体の膨らみ。その横の、右腕のある場所。

 さっき医者が処置を行った時には、朦朧とした意識と苦痛のせいで全く見ていなかった――もしかすると、本当は見たくなかっただけなのかもしれないが――そこには、のっぺりとしたシーツとそこに寄った僅かな皺しか無かった。



 記憶。


 ジェロと挑んだあの試合。
 友の、そして友の大切な人の力になる為に。何より自分の中の、“戦いたい”という欲望に従い立ったあのリング。

 そこに力尽き倒れた自分の体に、“それ”は存在していなかったのではないか。


 脳裏にある断片的で曖昧な映像を何とか手繰り寄せ整理しようとするが、増す一方の痛み、そして相変わらずどこかぼんやりした頭では、それは全く上手くいかなかった。


 ―――あの時・・・。肩から先がふっと軽くなって・・・。そして、視界が真っ赤になって・・・・・・。


 それでも、少しずつ組み上げられていく記憶。

 敵に抱え上げられる体。見上げた天井の、照明の眩しさ。周囲の奴らのやけに必死な声。
 敵の声と共に自分めがけて振り下ろされた鋭く光る何か。
 それが空を切る音。


 だが、肝心の“それ”の状況をはっきり裏付ける情報が無い。


 ―――でも・・・その後俺は“あいつ”と・・・。


 そして、自分の中に存在するもう一つの記憶。


 試合後、自分をレーラァと呼ぶあの妙な野郎と交わした握手。
 自分は確かに、右手で奴の手を握った。


 ―――触れた感触も・・・覚えている。


 激しく痛む自分の右肩。今、そこから先は、痺れに似た――麻痺したような感覚しか無かった。


 試しに右腕――肘から先――を持ち上げようとする。だが、新たな痛みが生じただけで、平らなシーツには何の変化も起きなかった。



 目の前のシーツ。
 あの妙な夢。
 戦いの記憶。
 “あいつ”との記憶。


 ―――現実は・・・。


 それを確かめるのは簡単だ。
 体を覆う布を、ただ少し持ち上げてみればいい。



 そこに“答え”はある。





 大きく息を吸い込んだ胸を再び刺すような痛みが襲った。

 口から洩れた、さっきまでのそれより幾分大きな自分の声に、キン肉マンの後ろに居た二人が自分の傍に歩み寄って来た。
 初めて正面から向き合った彼らの顔。その表情は、先のトーナメントのあの時とまるでそっくりで、俺は思わず視線を逸らしてしまった。


 こんな時の沈黙は何より辛い。かと言って、自分から何か言う事も出来ない。
 なぜなら戦いに敗れ傷付き、力無く横たわるだけの体を彼らの前にさらすのは、これでもう二度目だからだ。


 ―――しかも自分は・・・。この期に及んでまだ、女々しく足踏みしている。


 すると、そんな自分の感情を察したのだろうか。
 初めて師匠が口を開いた。


 「見る前に聞くか?それとも・・・見てから聞くか?」
 「・・・?」
 「その顔なら、大方分かっているのだろう。お前の負った傷の事だ。」
 「・・・。」
 「どうする?」
 「あ・・・・・・。」
 「決めるんだ。」
 「おいおい・・・。相手は怪我人だぜ。しかもまだ起きたばかりだ。もう少し落ち着いてからでもいいんじゃねぇか?」


 全く師匠らしい、淡々と紡がれるその言葉に、後ろのバッファローマンが咎めに入った。
 しかしその言葉は逆に師匠の感情を逆撫でしてしまったらしい。

 顔の全面を覆うマスクのせいで外見上には全く変化が無い師匠の表情。だが、その口調には次第に熱が籠っていった。


 「落ち着いて・・・それから話したところでどうする。それで何かが変わるとでも?」
 「いや・・・それは・・・。」
 「何も変わらないだろう。」
 「だが・・・。」
 「変わらないんだ。ならば、一刻も早く現実を受け入れて、そして少しでも早く新たな道を見出す。それこそが一番大切な事ではないのか?」


 畳み掛けるような師の言葉。しかしバッファローマンの目には、相変わらず否定と戸惑いの色が滲み出ていた。


 「そりゃ・・・そうなんだろうが・・・。だが――」
 「何だ。まだ腑に落ちんか?」
 「いや・・・でも、こいつは俺らよりずっと若いんだぜ。確かにあんたの言う事は正し過ぎる程正しいが、そんな簡単に割り切れる事でも無ぇと俺は思うんだが。」
 「年など関係無い。我々の戦いは常に死と隣り合わせ。名誉と命を奪い合うものだ。」
 「・・・。」
 「そしてその命の奪い合いの前には、年齢も経験も、そしていかなる事情も・・・加味される事など何一つ無いはずだ。そうだろう。」
 「だけどよぉ・・・。あれだけ良く戦ったのに・・・。それに、あれ・・・例のトロフィーに纏わる何とかってヤツ。あれがあれば――」
 「私に言わせれば・・・お前のそんな、中途半端な情けや不確かな気休めこそ、今のこ奴に最も無用なものだと思うが?」
 「何!?」
 「なあ・・・やめて・・・くれ。」


 思わず漏らしたその言葉に、二人の視線、そしてそれをじっと見ていたキン肉マンの視線が、再び自分の方に注がれた。


 「・・・ブロッケン?」
 「もう・・・いいから。」

 「二人共・・・。どっちの気持ちも・・・嬉しいから・・・さ。だから・・・やめてくれ。」



 師匠の厳しい言葉も。 
 それに反論する、バッファローマンの言わんとしている事も。

 
 それは全く相反していたが、どちらも共通するのは、自分を思ってくれている事だった。



 キン肉マン達もそうだが、彼らの試合はこれから行われる。
 そんな大切な時期に、自分の事で彼らの足並みが僅かでも狂う事などあってはならない。

 さらに言うなら、そもそも彼らはこんな場所に居てはならないのだ。戦いに備え、調整するなり休養するなり・・・。ここで言い争うよりももっとすべき事があるはずなのだ。


 ―――それでも彼らは・・・。目覚めるまでずっと自分の傍に居てくれた。

 ―――そして今も、傍に居る・・・。


 もうその事実だけで十分だと思った。


 それに、交わされた二人の会話で、もう俺の“答え”は完全に一つに絞られていた。



 やはり、腕は無いのだ。



 「師・・・いや、モンゴル・・・マン。」


 目を逸らすには、余りに近すぎるところにある現実。


 ―――もう・・・逃げるな。


 俺は、全てを受け入れる事にした。


 「見るよ・・・。それから・・・聞かせてくれ。」



 未だ憂いと戸惑いを隠せないバッファローマンとキン肉マンの目の前で、師匠は一つ頷くと俺の体を覆っていたシーツに手を掛けた。