夢を見ていた。
それは、自分の右腕が燃える夢だった。
夢の中の俺は、リングの上に居た。
普段の軍服姿。脱いだ上着を左脇に抱え、ただそこに立っていた。
その場所には覚えがあった。確かトーナメントの一回戦と、自分が出たリザーブマッチが行われた場所。
ただ、パートナーであるジェロも、セコンドについてくれていたはずのキン肉マンもテリーも、対戦相手の二人も観客も・・・。
そこには誰も居ない。
広い会場の中で、息をする者は自分ただ一人。
あとは全て無機物だった。
喧噪に包まれていたはずの会場は、静まり返って耳鳴りがした。
唯一聞こえる音らしい音と言えば、己の心臓の音だけ。
だが、それがリングに立つ自分のものなのか、それを見ている方の自分のものなのかは、判然としなかった。
リングの上の俺は、ただ無言で辺りを見渡している。
そして、その様子を俯瞰(ふかん)で――丁度天井の高さくらいの位置から――眺める、もう一人の俺。
自分の目の前に広がる世界の中に、まるで他人のようにもう一人の自分が居る。
上手くは言えないが、例えば自分が神にでもなって、下界を見下ろしたらたまたま自分と全く同じ姿をした他人が一人で立っていた。
そんな感じの夢だった。
―――何だか退屈だな・・・。
特に何が起こるでもないその状況に、上からただ眺めるだけの方の俺がふとそんな事を思ったその時だった。
その夢は、自分の全く意もしなかった展開を見せた。
突然リングの上に居る方の自分が、右腕を押さえながら苦しみ出した。
そしてその痛みは、程無くそれを眺めていた方の自分にも伝わってきた。
焼けつくような痛み。
幼い頃からの訓練である程度の苦痛なら意もしないはずの自分が、思わず声を上げてしまいそうになる程の、それは激しい感覚だった。
まるで火のようだ。
そんな感想を抱いたとほぼ同時に、リング上の俺の右腕は炎に包まれた。
指先から肩口までを覆い尽くす青白い炎。
少し暗い、灰かかった青色。
自分の目の色のように、冷たい色。
なのに、とても熱い。
リング上の俺は、左側の手に持っていた自分の軍服の上着を燃える右腕に被せると、そのまま右腕を抱え込むように、そこに蹲(うずくま)った。
膝をつき背を丸め、額をリングのマットに押し付けたその様は、それこそ神に許しを請う罪人のように見えた。
燃える右腕に触れているであろう部分。
眺める自分の胸と腹にも、熱と痛みが広がってゆく。
恐らくリング上の俺も、同じように――もしかすると自分以上に――それを感じているのだろう。
熱い。
痛い。
苦しい。
―――畜生・・・。さっさと静まりやがれ・・・・・・。
リング上で蹲った俺は、低い呻き声を上げながら、ただ体を震わせていた。
そして、それを見ている方の俺もまた、苦痛に耐えながら、蹲る自分の体の脇から覗く炎が消えるのを待っていた。
どのくらい経っただろうか。
それは、ごく短い時間のようでもあり、随分と長い時間のようでもあったが――、やがて炎はゆっくりと消えていった。
ただ悲しいかな、自分に伝わってくる熱と痛みはそのままだった。
乱れる呼吸。
その息にも酷く熱が籠っていた。
唯一、こめかみから伝った汗だけが冷たく心地良かった。
やがてリング上の俺は、ふらふらと体を起こした。
そして何とか立ち上がると、右腕を確かめ始めた。
その右腕は赤黒く変色し、無残に焼け焦げた軍服が纏わりついていた。
赤色。黒色。緑色。
主張の強いそれらの色が複雑に混ざり合う様は、お世辞にも気持ちの良いものではなかった。
そして、元々の肌の色は見る影も無かった。
右腕は僅かも動かず、肩からだらりと垂れさがっていた。
リング上の俺は、それをしばし呆然と見つめながら、小さく一つ、深呼吸のような溜息をついた。
一方それを眺めているこちらの脈と呼吸は、右肩から伝わる異様な感覚のせいか、どんどん早くなっていった。
―――腕は・・・。自分の腕は・・・・・・?
さっきこめかみを伝ったのとは種類の違う、何とも嫌な汗が背中を伝った。
今思えば、それはその後に起こる最悪な事態の序章だったのかもしれない。
腕に纏わりついた軍服の残骸を払おうとでもしたのだろう。
それは、リング上の俺が左手を右腕の二の腕辺りに滑らせた時だった。
ずるり。
そして、ぼたり。
今まで聞いたことのない、例えようもない不快な音と共に。
纏わりついていた、黒焦げの布切れと共に。
右腕がマットに落ちた。
再び訪れる静寂。
不快な余韻だけが、水に垂らしたインクの様に広がっていく。
何が起こったのかまるで分からない。そんな表情でリング上の俺は、ただ呆然と右腕が存在していた空間を見つめていた。
そしてそれを眺める自分もまた、ただ呆然としていた。
リング上の俺の左手が右の肩口を這う。
肩までは、ある。
左手が触れる感覚は、確かに自分の方にも伝わってきた。
だが、無い。
その先が無い。
酷い熱と痛みだけを残して。
リング上の俺の視線は、何度も何度も、地面に落ちた肉塊と右肩を往復する。
そして自分は、そんなリング上の自分と肉塊からじわじわと広がってゆく赤黒い染みを、ただ遠くから眺める事しか出来ない。
その肉塊の持つ確か過ぎる程の存在感。
そこから生える、見慣れた五本の指の形。
全てが余りに身近なもので、だから余計に、リングに落ちたそれが自分のものだという実感は湧かなかった。
―――気のせい・・・だ。
しかしそれが気のせいでない事をはっきり痛感させる“印”が、自分の、そしてリング上の俺の視界に入る。
それはリング上の俺が、まるで地面に落としたコインを拾うような――そんな淡々とした所作で右腕を拾い上げた時に布の残骸の下から現れたハーケンクロイツ(鉤十字)。
―――やっぱり、気のせい・・・じゃ・・・ない。
そして、二人同時の絶叫―――。
そんな夢だった。