これまでにも――例えば今日や誕生日といった特別な日に限らず――何かの機会につけて自分はJr.に本を贈っていた。
息子には、出来るだけ多くの本を。
それは、もう居ない“彼女”の願いでもあり、同時に自分がJr.を喜ばせられる、数少ない手段の一つでもあった。
暗く重たい色取りで統一された屋敷の中で、彼の部屋の書棚だけは、年々自分が与えたもので、まるで別世界のような様相を呈していた。
自国の事情、日々の食事すらまともに共に出来ない多忙を極める自分の職務。そして“頭首の子供”という肩書きで事細かな制約を受ける彼の日常において、本の上に広がる世界に自らを重ねる事は、何よりの遊戯に違いなかった。
しかし今日のこの日、自分はあえて本以外のものを贈った。
それは、ふと芽生えたある思いに端を発していた。
腕の中の宝を自分に与えてくれた彼女。
彼女はごくごく自然に、今もJr.の傍に存在し続けていた。
時には歌の中に。
時には彼の読む本の主人公として。
息子の振る舞いの中に、時折彼女を感じる――そうでなくとも息子の、特に笑顔は、亡き彼女に生き写しな程そっくりだった――事は、自分にとって何より幸せな瞬間の一つだった。
ただ残念な事に、それらを与えた彼女の記憶が当のJr.には全く無かった。
“お前の一番好きなその歌は、彼女がお前に聴かせていた歌。”
“お前の一番好きなその本は、彼女がお前に読んでいた本。”
―――そしてお前の、その淡く柔らかい髪も頬も唇も、全て彼女から受け継いだもの・・・。
そう説明してみたところで、まだ幼い息子にとっては何の実感にも繋がらなかったし、ましてや父親の不在中に彼が耐えねばならない孤独を埋めるには、余りに微々たる情報だった。
それは、何だかとても悲しい事のように思えた。
そして同時に、少しでも何とかしてやりたい。彼女が息子に残したようなものを与えてやりたい。至福には足りなくとも、せめて彼の孤独を僅かでも紛らわしてやりたい。
そう、思ったのだった。
そうして、思案に思案を繰り返した結果――とはいえ“頭首に必要な知識”以外何も持ち合わせていない自分の考えなどたかが知れていたが――浮かんだ“それ”。
――父の心は、いつもお前の傍にある。
――例え離れていても。
――今も、未来も。それは永遠に・・・。
そんな想いを籠めた、小さなロケットの付いた銀のチェーン。
それが、その箱の中身だった。
普段与えるものと全く趣向の違うそれを、小さなその手で転がしたり振ったり。 自分の腕の中で、不思議そうな面持ちで確かめるJr.に向かって、私は言葉を掛けた。
「はは・・・。どうした?本の方が良かったか?」
「え・・・あ・・・、ううん。だってファーターがくれたんだもん。僕、嬉しいよ。」
「何か一つくらい、お前と揃いのものが欲しくてな。」
「おそろい?」
「ああ。お揃いだ。ただ、お前が気に入るかどうかはちょっと自信が無いがな。それに・・・」
「・・・?」
「いや・・・。それに、たまには趣向を変えてみるのもいいかなと思ってな。」
“それに今日は、もしかすると最後の聖夜になるやもしれんから・・・。”
つい口をついて出てしまいそうになった悲観的な言葉を悟られまいと、私は精一杯の笑顔を息子に向けた。
来年、七つを迎える息子は、徽章を継ぐ資格を得る為の施設へ送られる。
一度そこへ送られると、成人する十八まで戻る事はない。
そして一族の万人に平等であるべき頭首の自分には、ただ一目会う機会すらも無かった。
―――何より、生きて戻る保障は無い・・・。
施設で課される、常に死と隣り合わせの厳しい訓練。
それは自分の血を継いだ息子であっても、決して楽にこなせるような類のものではなかった。
―――そして、自分が生きて待てるという保障・・・。
息子が成人を迎える年、自分は三十八歳。
徽章を継いだ人間の平均寿命が三十歳。
もともと死と隣合わせの職務をこなす自分にとって、その数字――殆どが事故死や戦死という者達の享年を、ただ並べるだけ並べて導かれた平均値――自体に思う事は何も無かった。
一族内でも群を抜く身体能力を備えた自分が、誰かの手にかかる。
特に、平和と安定を強く望む今の自国において、その可能性は皆無と言って良かった。
だが、一つだけ自分の胸に引っかかる事実。
それは、数世紀をまだぐ一族の長い歴史上でも、四十を越えた頭首の記録が殆ど無い事。
何度も拭い去ろうとして、それでもどうしても拭い切れない、白黒で無音の未来図。
それがJr.に本以外のものを贈ろうと思ったもう一つの理由だった。
―――ただの杞憂だ・・・。
今はただ、何にも代え難い息子との時間を存分に楽しみたい。いや、楽しまなくてはならない。
そう思い直した私は、その良からぬ想像を一掃すべく、息子の小さな額に唇を寄せた。
唇に伝わる、冷たく、しかし柔らかく滑らかな肌の感触は、自分の身の内の陰りを見る間に溶かしてくれた。
私はJr.を抱いたまま、屋敷に向かって歩き出した。
「ファーター、僕降りて歩くよ。」
「いやか・・・?ファーターはこの方が暖かくて嬉しいんだが。」
「嬉しい?」
「ああ、嬉しいな。」
「じゃあ、もっと暖かくしてあげるね。」
箱の中のものと同じチェーンを身に付けた自分の首に、温かい息子の腕が強く巻きついた。
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Jr.が自分に贈ったそのカードには、自分の想像していた以上に細々なものが描かれていた。
“じゃあ来年もかいてあげるね。”
その無邪気な言葉に返した、笑顔という“嘘”。
人を殺める事に比べれば余りにも些細なその罪に、しかし抱いた自分の罪悪感は、それこそ一生拭い去る事は出来ないだろうと思った。