その日。
なぜ海を選んだのか。
今でもその理由は上手く説明出来ない。
ただ、あの国のあの街で、何よりあの家に産まれた自分にとって、成人するまで本や映像の中でしか見る事が出来なかったその場所が、一種憧れの象徴のような存在である事には違いなかった。
キン肉星の新たな大王を決める戦いにも幕が下ろされ、毎晩続いた祝いの宴も一段落したその日、俺は仲間達と滞在していたホテルに程近い海に、その“特別な人”を呼び出していた。
海は、ほぼ無風の天気に加え、もともと湾内に位置しているせいもあってか、どこまでも穏やかな様相を呈していた。
微かな波の音。そして、潮の香り。
写真や文字では漠然としか表現出来ないそれらを肌で感じながら、俺はさんざん迷って出した答えを伝える為の言葉を、その人と過ごしたごく短い思い出に重ねながら、頭の中で繰り返し繰り返し、呟いていた。
わざわざ足を運ばせる以上、相手を待たせる訳にはいかない。
もともとそういう経緯もあって、時間よりかなり早めに来ていた俺の前に、しかしその人は約束していた時間より随分早く現れた。
「静かだな。」
「ソルジャー・・・。」
傾きかける陽の光で出来た陰影のせいだろうか。あの人の体がいつもよりほんの少しだけ、小さく見えた。
あの日。この人が俺の国まで出向き、そして俺に共に戦う事を求めたあの時から今日まで、まだいくばくも経っていないが、それでもその短い時間の中で、俺はこの人の後ろ姿をずっと見ていた。
包み込まれるようなオーラ。傍にいるだけで得られる、不思議な安心感。
この人から得られるものの全てに、俺はいつしか亡き父を重ねていた。
「悪ぃな・・・こんなとこまで。にしても、えらく早ぇお着きだな・・・。」
「いや・・・。先に来てお前を待つつもりだった。だがそういうお前こそ、随分早いじゃないか。」
「こんな所まで呼び出したのは俺なんだから、あんたを待たせたら悪いと思ってさ・・・。それに・・・」
「ん・・・?」
「何となく、あんたを待ちながら・・・思い出したかったんだ。あんたが俺の前に現れた時の事とか、あの戦いの事とか・・・。」
「そうか・・・。じゃあ・・・少し歩くか。結局あの戦いが終わってから今日まで、お前とこうしてゆっくり語らう機会も殆ど無かったしな。折角なら、一緒に振り返ってみるのも悪くないと思うが。・・・どうだ?」
「・・・ああ。悪くねぇ。」
軽く目を合わせ、少し笑って。
そして、俺達はゆっくりと歩き出した。
一直線に海に向かって伸びるコンクリートの道。その上を二人、並んで歩いた。
俺の目線より少しだけ高い位置にあるソルジャーの目。唯一見える素顔のそれが、俺は好きだった。
徽章の為もあるが、いつも軍帽の庇の奥に目を隠していた自分にとって、常に表に出ているソルジャーの深い眼差しは、何物にも揺らぐ事のない彼そのもののように思えた。
ソルジャーの影。そして、それより丁度一回り小さい自分の影が、歩調に合わせてゆらゆらと揺れていた。
「それにしてもさ・・・。何かただ者じゃねぇってくらいは思ってたけど、まさかキン肉マンの兄貴だったとはな。」
「はは・・・。隠して悪かったな。」
「いや・・・別にいいんだけどさ。俺も・・・そして仲間の皆も、“あんた”自身についていった訳だし。馬の骨でも、悪魔でも・・・肩書はどうでも良かった。」
「ああ・・・。」
「・・・あ。でも―――」
「ん?」
「兄貴と・・・あの王家の直系だと知ってりゃ、物を投げつけるような真似はしなかったかもしれねぇ・・・かな。」
「ははは・・・。それはそうかもな。」
「あれだけは・・・弁解の余地もねぇよ。」
「いや・・・。まあ、正直驚いたには違いないが・・・。だが、お前の気性の荒さはそれなりに分かっていたから、そこまで意外でもなかったがな。」
「それって・・・。何か、慰められてんのか貶されてんのか、よく分かんねぇんだけど・・・。」
「はは・・・。一応褒め言葉のつもりだが?それだけお前が仲間達の事を、何よりスグルの事を大切に想ってくれている証拠でもあった訳だし。」
「・・・そう言ってもらえると、ありがてぇけどな。」
思わず投げつけた置物。陶器で出来たそれは、たまたま一番手近にあったものに過ぎなかったのだが、幸か不幸か中が空洞だったお蔭で、大した傷を負わせる事無く済んだ。
ただ、その後家に戻った俺は、半泣きで粉々になった破片を片付けていた古い家人にこっぴどく小言を聞かされる羽目にはなったのだが。
―――そんな高価なもんなら、そもそも俺の部屋に置くんじゃねぇって話だ・・・。
全くどうでもいいその思い出に、俺は思わず苦笑を洩らした。
「ん・・・?どうした?」
「いや・・・・・・。何でもねぇ。」
言葉はそこで途切れ、暫くまた、黙って歩いた。
普段、他の奴となら気まずいと思う沈黙すらも、この人と、ソルジャーとなら心地良かった。
さほど長くないその道の端に、程無く辿り着く。
3方を海に囲まれたその場所には、二人の他に誰も居なかった。
次に口を開いたのはソルジャーだった。
「それにしても・・・。どこか不思議な気配を持つ奴だとは思っていたが、まさか人間だったとはな。」
「ああ。こればっかりは、家の事もあるし、何より致命的な弱点にもなりかねねぇからさ・・・。仲間にだって、ラーメンマン意外にはこれっぽちも話さなかった。」
「そうか・・・。まあ、だからこそお前の長所・・・責任感とか、自立心とかそういうものだが・・・、それがあるのだと思うがな。」
「ああ・・・。」
「いや・・・悪い意味ではないぞ。気に障ったなら謝るが・・・。」
「あ・・・え・・・いや、嬉しいよ。もちろんこんな中途半端な体である事には、歯がゆかったり、悔しかったりで・・・。コンプレックスなのも確かだけどさ。」
「・・・。」
「・・・でも、一族の象徴で親父と同じこの体が、あんたのお蔭で一層誇らしく思えるようになったのも事実だ。」
「そうか・・・。」
「それに、この体だからこそ、あんたを守れた訳だしさ。」
「ああ・・・。そうだな。」
二人が共有する記憶はさほど多くない。
この穏やかな時間を少しでも延ばす為にか、それとも、この後に続く本題を先延ばしにする為なのか。
それぞれが抱く複雑な思いに引きずられるように、会話は途切れては始まり、またすぐに途切れた。
そして、やがて訪れた、その日最も長い沈黙。
ふと足元に目をやると、並んで佇む二人の影が少し長くなっていた。
夕暮れにはまだ少し早い。
けれど俺とソルジャーの“日没”は、もうすぐそこまで来ていた。