「レーラァの一番尊敬する人って、やっぱりラーメンマンさんですか?」
「・・・ん?何だ、唐突だな。」
ジェイドが自分の下に来て約一年。その日も変わらず厳しい訓練を課していた自分に投げかけられた、愛弟子のその何気ない問いかけをきっかけに、久方ぶりにあの人の顔が、そしてあの日二人で見た景色が自分の脳裏に蘇った。
兄弟もおらず、しかも七つになるまで滅多に家から出る事もなく、遊び相手――そもそも遊んだという記憶自体が皆無と言える程自分には少ないのだが――と呼べる相手も父親ただ一人。そして、それから成人を迎えるまでの約十年を、今度はその父親とも隔離され、一族の訓練施設で、常に非情に徹した大人達に監視されながら生きてきた自分にとって、まだ十にも満たないこの弟子――ジェイドとの生活は、正に手探りと戸惑いの連続だった。
突然自分の前に現れ、そして弟子入りを志願した彼に、ようやく己が生きる新たな道を見出す事が出来た自分だったが、いざ、共に生活するにあたって、初めて自分が“子供”を扱う術を何一つ持っていない事に気付かされた。
己の血を後世に繋げる気はそもそも無く、また、嫌いとまではいかないものの、元々女子供と接する事自体が苦手なのも相まって、特に彼が自分の下に来てすぐの頃、俺は――今考えれば考える程、かなり可哀そうな事をしたと、こればかりは反省の一言に尽きるが――ジェイドに随分と冷たく接し、結果、彼に必要以上に息苦しい思いをさせてしまった。
―――こればかりは・・・。何せ、手本となる人間が一人も居なかったからな・・・。
しかし、暗中模索の歩み寄りの成果もようやく実を結び、最近ではこうして、他愛のない会話を自然に交わせるまでになっていたのだった。
もちろん、ベタベタした慣れ合い関係に陥る事だけは絶対に避けねばならないし、『師』という肩書で彼の前に立つ以上、甘やかし過ぎない程度にしなければならない。
あくまで俺の目的は、ジェイドを誰よりも強くする事であり、同時にそれが彼の願いでもあるからだ。
師匠として持つべき厳しさ。それを忘れては元も子もない。
だが、その辺りはどうやらジェイドも彼なりに弁えているらしく、そのお陰もあってか、今は自分の思い描く「師弟のあるべき姿」にかなり近しい関係が築けている。多少贔屓目ながら、そう自画自賛出来るまでになっていた。
―――情に流されてはいけないが、時には笑い合う事も必要。そして、相手が幼子ならばなおさらのこと・・・。
それも月日を重ねて分かった事だが、実際、ジェイドは自分が思っていた以上に、親の愛に飢えていた。しかし当初の自分は、かつて自身が施設で経験した状況を再現せんばかりに、徹底して厳しい姿勢を――特に彼の前では決して――崩さなかった。
しかし、厳しいだけでは人は、子供は育たない。時には愛情を注いでやらなくてはならない。
ある事をきっかけにそれを悟った俺は、その日から出来るだけ訓練以外の場ではジェイドに笑いかけるようにしていた。
もちろん当初も含めた自分の言動・態度の全ても、自分なりに彼を大事に思っての事には違いなかったのだが、まだまだ親に甘えたい年頃の彼に対する、迂回を重ねた意思表示は、時に逆効果になってしまう。それがここへきてようやく理解出来たのだった。
―――相手の立場に立って物事を考えた経験が、そもそも余り無かったからな・・・。
そういう紆余曲折を経て行き着いた、ジェイドに対する所作。しかし、それが今や、彼だけでなく自分自身の拠り所になっている事も、また事実だった。
二十年近くの長きの間、ひたすら己を閉ざし、内に逃げて過ごしていた自分にとって、誰かに笑顔を向けるという行為は、一種リハビリのような効果をもたらしていた。
―――まだ“しこり”は残っているが、それでもあの時の、全てが凍りついたような感覚は大分和らいだ・・・。
どこまでも真っ直ぐに、前に向かって歩く事を望む弟子。
ようやく顔を上げ、前に向かって再び歩きだした自分。
そんな二人の、奇妙で不器用な二人三脚。
ジェイドの口から何気なく出たその問いかけは、そんなある日の、僅かに設けた休憩時間の事だった。