―――またこちらを見ている・・・。
超人オリンピック・ザ・ビッグファイトAブロック第二試合から一日が過ぎた。
私は自分のベッドの傍らで、一人、ただ黙々と体を解していた。
全身をこれでもかという量の包帯で覆われた我が身。しかし怪我の具合は思った程悪くなく、医者には絶対安静と釘を刺されたが、この程度ならあと二~三日もすれば完治に至る自信があった。
これまでにも自分は、今負っている傷以上の酷い怪我――それこそ死を覚悟する事さえ両の手で数えるに足りぬ程――を、戦闘の最中受けていた。しかしその経験の賜物とでも言うのか、傷の治りは常人の何倍も早かった。
自分の意識は既に、一週間後に行われる準決勝に向けられていた。
―――とはいえ、折角塞がりかけた傷が開いてしまっては元も子も無い・・・。今日と明日は軽い柔軟と筋トレに留め、本格的に体を動かすのは明後日からだな・・・。
次の戦いまでに自分に与えられた時間をどう割り振るか思案を巡らせつつ、私は一通りの柔軟を行いながら、一瞬また、もう一つのベッドに視線を向けた。
「・・・。」
「・・・。」
半身を起こし、古めいた本を手にした隣のベッドの住人は、朝から黙したままだった。
昨夜、父の仇(かたき)を討つという、ただその目的の為に大会に参加した奴――ブロッケンJr.は、自分との語らいの途中――泣き疲れたのか、はたまた薬のせいなのかは判然としなかったが、結局そのまま深い眠りに落ちていた。
自分が渡した奴の父の遺品。それは自分が思っていた以上に、奴にとって大きな意味を持つ物だったらしい。
大会が始まってから、私は終始、奴が放つ冷たく鋭い視線を受け続けていた。
父を殺した許し難い仇に放つその視線は、憎しみの念がありありと込められていた。
しかし、一夜明けての今日、奴は昨日まで脱がされていた軍帽を目覚めてすぐ被り、私物らしき本に顔を向けながら時折こちらを窺うしぐさを見せていた。
どこか含みを持つ視線。その視線には、昨日までの刺々しさは跡形も無くなっていた。
朝一番の医師の回診で、私はてっきり奴が元居た自分の病室に戻る事を願い出るものだとばかり思っていた。しかし奴は医師の問いかけにもただ首を振るだけで、そのまま自分と同じ病室に留まっていた。
―――何かまだ、私に用でもあるのか。それとも、私がさらに何かを奴に語るのを待っているのか・・・。
Jr.は明らかに意図して自分を窺っていた。しかし、いざ自分が奴を見ると、また本に向かって俯く。その繰り返しだった。
―――おかしな奴だな・・・。
もともと自分がJr.に興味を持ったのは、一年前に奴の父であるブロッケンマンその人から感じた、例えようのない狂気の根源を明らかにしたいという思いに端を発していた。そして昨日、ようやく自分は息子の手に父の遺品を返し、そしてその狂気について洗いざらい話すまでには至っていた。
しかし、肝心の答え、もしくは答えの代わりとなる何かを奴の口から聞く事は、結局出来ず仕舞いだった。
―――まあしかし、少なくとも今の奴にこれと言った危険な気配が無い事は明白になった。こやつから得るには、もう十分なのかもしれん。
写真をあるべき場所に返す事が出来た自分は、その事自体によって得られた達成感と、それを受け取った奴の反応を目の当たりにした事である程度満たされたせいもあってか、あの狂気に対する執着も以前に比べれば随分おさまっていた。
それよりも今は、奴が自分に向ける何ともむず痒い視線の方が気になっていた。
―――仕方ない・・・。こちらからきっかけを作ってやるか。
そのまま放っておいても良かったのだが、視線の奥に時折見える酷く寂しげな表情が私の肩を押した。
「部屋に居る時くらい、帽子を脱いだらどうだ?」
「・・・っ!?」
自分が向ける視線に私が気づいていないとでも思っていたのか、Jr.は突然発した自分の言葉に酷くうろたえた。
「・・・うるせぇな。人の勝手だろ・・・。」
「まぁ、そうだが。」
「いつもこうだから、無ぇ方が落ち着かねぇんだよ・・・。」
「お前の国ではどうか知らんが、この国では余り褒められた所作ではない。」
「そんなお国の事情なんか知らねぇよ。それに何だよ・・・。その、じじいみたいな言い草は・・・。」
そう言いながら、奴はこれまで以上に帽子を目深にした。
雪より白い頬をやや赤らめそう吐き捨てた奴に、思わず苦笑が漏れた。
「・・・ところで、さっきから何か言いたげな様子だが?」
「・・・。」
「何度もそんな目で窺われると、さすがに気になって仕方がなくてな。」
「・・・・・・悪かったな。・・・ただ・・・よ。」
「何だ?」
「昨日の今日で、そんなに動いていいの・・・、かな・・・って・・・。」
「・・・。」
たどたどしく紡がれた言葉の語尾は、扉の向こうの廊下から聞こえる足音に掻き消されたせいもあり、殆ど聞き取る事は出来なかった。
それは、全く持って意外な言葉だった。
どうやら奴は、自分が負わせた仇の怪我を気にかけていたのだった。
「それこそ私の勝手だろう。お前が案ずる事ではない。」
「・・・それも・・・そう・・・だな。」
軽い皮肉と揶揄を込めたそれは、自分にとって本当に何気ない一言だった。しかし私は、自分の言葉に一転して酷く後悔させられた。
昨日まで私を殺さんと敵意を剥き出しにしていた男とは到底思えない程の、そこには暗く沈んだ表情をした奴の顔があったからだった。
それきり黙って本に向き直ったJr.。しかしその目は、僅かも文字を追ってはいなかった。
―――そんな顔をしてくれるな・・・。
もともと幼稚な、そしてどこか脆い奴だとは思っていた。
奴の父の、全く隙の無い完璧な貴族の立ち振る舞いが余りに自分にとって印象的だったせいもあるのだろう。しかしそれでも奴の、抱いた感情がそのまま行動に表れる様は、その年齢を考慮してもなお、稚拙さばかりが目を惹いた。
大会の資料には、確か十八と書かれていた。しかし、今自分の目の前にいる奴は、昨夜泣き寝入りした時以上に――それこそ十にも満たない程の――、完全な“子供”だった。
そして、そんな奴を前に抱いた自分の罪悪感もまた、大人が子供を意図せず傷つけた時に感じる類のそれそのままだった。
「・・・いや、悪かった。気にさせたのだな・・・。」
「・・・。」
「心配には及ばん。私の場合、人一倍傷の治りが早いのだ。」
「けど・・・。」
「・・・それに、今日はこれ以上激しく動くつもりもない。だから、大丈夫だ。」
「・・・なら・・・いい。」
奴の顔が、一瞬またこちらに向いた。その顔には安堵の表情がありありと浮かんでいた。
―――全く、おかしな奴だな・・・。
自分の口から、その日二度目の苦笑が漏れた。
恐らく、きっかけはその時だった。
その時私は初めて、俯き小さく膝を抱えるこの子供自身に対して興味を持った。