日は傾き、病室は一面、差し込む柔らかな光で赤く染まっていた。


 ラーメンマンは、突然自分の病室で倒れたブロッケンJr.の傍らに座り、覆う物を全て取り去られた彼の顔をじっと見ながら、何とも表現出来ない思いを持て余していた。
 Jr.の処置を一部始終見ていたラーメンマンは、倒れた理由を知り愕然とした。彼の体からは、神経系の毒物反応が検出されたのだった。毒の処置は特に時間が重視される。その為もあって、空いていた隣のベッドが使われたのだが、処置を終えた医者が彼を元の部屋に戻そうとした時、ラーメンマンはそれを制止し、そのまま彼を自分の部屋に残すよう頼んでいた。


 完璧な血統のみが成しえる白い肌。これまで軍帽の庇とヘッドギアに隠れ目にする事の無かった絹糸のような金の髪、細く尖った顎、長い睫毛・・・。全てをさらしたJr.の顔は、まるで争い事とは無縁のような、幼さと儚さ、そしてどこか女性的な印象をラーメンマンに与え、彼をさらに狼狽させた。


 Jr.の口に当てられた酸素マスクは規則的に白く曇り、枕元に置かれた小さなモニターの波も数字も殆ど変化なく点滅を繰り返していた。
 ようやくこの部屋に再び訪れた静寂。しかし、それとは裏腹に、ラーメンマンの心中は怒りと困惑と憐みと・・・様々な感情で溢れ返り、どうしようもない程揺らいでいた。

 「このような若者が、復讐のあげく毒・・・。全く馬鹿げた事だ。」

 もともと感情を表に出さず口数も少ないラーメンマンであったが、横たわる白い子供を前に、つい心情を声にしてしまっていた。



 その時、小さな呻き声と共に、横たわるJr.の目がうっすら開いた。

 「・・・ブロッケン。分かるか?」
 「・・・。」

 返事は聞き取れなかったが、視線を周囲に泳がせながら小さく頷く彼に、ラーメンマンはひとまず安堵の溜息を吐いた。

 「今、医者を呼ぶ。」

 そう言いながら枕元に置かれたナースコールのボタンを取ろうとしたラーメンマンの手を、Jr.はその上から掴むと首を左右に振り、もう一方の手で口を覆っていたマスクを外した。

 「・・・必要無い。」
 「必要無い訳なかろう。かなり強い毒を飲んでいたそうじゃないか。」
 「・・・ああ・・・。だから・・・でも、もう・・・消えたから。」
 「消えた?」
 「ちょっと・・・しくじっただけだ。・・・問題・・・無いし、死にゃあしねえ・・・。」
 「自ら死のうとした奴が何を言う。」
 「・・・あぁ・・・そういう・・・事か。」

 掴んだ腕はまだ弱く、ラーメンマンがそのボタンを押す事は容易だった。

 患者が目覚めた旨を伝えて間もなくやってきた医者に、Jr.は軽く舌打ちした。
 一通りの検査や問診を行った医者は驚きの表情を隠さなかった。そしてその様子を見ていたラーメンマンに向かってこう言った。

 「落ち着いている・・・ようですね。」
 「しかしこの様子は・・・?まだ意識もはっきりしていないようだし、さっき私を掴んだ手も酷く弱かった。」
 「これは投与した薬のせいでしょう。もちろん、血液検査の結果を見なければ断言は出来ませんが。・・・それより貴方もベッドへ戻って下さい。傷が開きますよ。」



 結局Jr.の容態はかなり安定したらしく、どこか朦朧とした様子もやはり鎮静剤等の投薬のせいであった。その知らせについ気が緩んだラーメンマンは、二度目の安堵の溜息を洩らし、座っていたパイプ椅子の背に体をもたせかけた。

 「全く・・・。」
 「だから・・・言ったじゃ・・・ねぇか。問題無い・・・って。」
 「お前は自分で毒を飲んだのだろう。自ら死に急ぐ程情けない奴だとは思わなかった。」
 「何か・・・勝手に色々・・・勘違いしてねぇ・・・か?」
 「何がだ。」
 「別に死のうとなんか・・・してねぇ。」

 Jr.の言葉はたどたどしく、天井を見つめる目も、まだどこか焦点が合っていない様子ではあったが、会話の受け答え自体はしっかりとしていた。しばしの沈黙。その間Jr.の目は天井とラーメンマンの間を何度も往復した。
 何かを考えながら、そしてその考えを相手にどう伝えるか、思案を巡らしているその様子に、ラーメンマンはあえて次の言葉を急がせるような真似はしなかった。

 「・・・あんたは親父と・・・戦ったろう?」
 「ああ。」
 「ガス・・・食らっただろ・・・?」
 「ああ、そうだな。」
 「・・・あれだよ。」
 「・・・何。・・・ということは、お前達は・・・。」
 「そう・・・。俺らは、あらかじめ・・・飲んでおいた毒を・・・吐き出すんだ。別に・・・てめぇの体で毒を作るような・・・んな・・・蛇みたいな事は出来ねぇ。ただ・・・それを吐かずに長くいると・・・、いくら耐性があっても、てめぇが・・・イカれちまうって訳だ。」
 「・・・そういう事か。」


 ブロッケン一族の暗殺術の一つである殺人ミスト。それは幼少の頃から少しずつ毒を摂取し耐性を付け、その強制的に鍛えた体に一時的に大量の毒を溜め、それを相手に放出するというものであった。ゆえに、諸刃の剣。放出するタイミングが遅れれば遅れる程自らを危険にさらす、つまり、どれだけ耐性を付けた体であってもそれはやはり自分へのダメージとなって返ってくるのだった。
 その為この技は、激しく体を動かす程血の巡り・毒の巡りが速くなる事も考慮し、出来るだけ戦いの序盤で使い切ってしまう必要があった。


 「使うつもりだった・・・。けど・・・あんたが・・・俺にやられるばっかで、しかも・・・変な情けかけられてるみたいで、・・・出し損ねて・・・。それに、今まで試合で気を失うなんて事も・・・無かったから。」
 「・・・無謀な。しかも殺そうと狙いを定めた相手に対して躊躇するなど。」
 「別に、一応相当鍛えたから・・・死ぬ事はねぇし。・・・けど、躊躇っちまったのは・・・何でだろう・・・。って、俺が・・・結局甘ちゃんなだけなんだろうけどな・・・。」

 そこまで言うと、再びJr.は口を閉ざした。ラーメンマンが腰掛ける椅子が置かれた側とは反対の、何もない壁をじっと見つめながら、小さく鼻を鳴らし・・・Jr.は、笑っていた。

 「ブロッケンJr.。私はもっと早くお前とこのように語らいたかった・・・。」
 「・・・・・・。」



 思わぬ形で突然二人の元に訪れた穏やかな空気。もちろんそれは、自らの感情をすぐ持て余し、それに振り回される幼い青年が、薬によって半ば強制的に大人しくなっているからには違いないのだが。

 ラーメンマンは、この奇妙な平穏を利用しない手はないと思った。もちろん、相手が弱っているところにつけ込むような真似をする事に、彼の決断は何度か揺らいだ。しかし、待ち望んでいた彼の疑問を晴らすチャンスは、もう今しか無かった。

 ラーメンマンは無言で席を立つと、自分のベッドの上に出したままになっていた銀のロケットを手に取った。


 傾いた日はとっくに暮れ、二つのベッドそれぞれの枕元で光る照明だけが、ぼんやりと室内を照らしていた。