「石川」県は小学校1年生で教わる漢字だけで書けますね。

これをひらがなで書いた子がいて(1年生より上の学年です)、「いしかわ」は簡単な字だから漢字を覚えようと誘ったところ、上からなぞってその漢字を書いた子がいます。

さて、石川という漢字を覚え、その子が次に何の勉強を始めたかというと漢字の書き取りでした。

「わからないから漢字の勉強をする」というのです。

勉強嫌いな子が多い中で、これは刮目すべき心構えです。



今の学校教育は、教科書などを見ると勉強すべき事柄が我々の頃よりはるかに多く、覚えるべきことがたくさんあります。

その一方で、やりたくなければ無理にやらなくてもいいと言って、学習意欲を上げる努力をあまりしていない風潮も見られます。

だからわからないことがあると、誰かに聞いて教えてもらうならまだしも、わからないからやらない→勉強はわからないことが多いからやりたくない→勉強したくない→勉強しない という方向に簡単に流れていってしまいます。



子どもに限らず大人でも、楽な方へ進めればそれに越したことはありません。

わからないから、苦手だから直面せずに済めば心に負う傷も浅いか全くなしで済ませられます。

大人であれば「逃げる」方法を知っているだけに浅い傷で済むことも多いでしょう。

しかし子どもはそうはいきません。

逃げるかやるかの二者択一です。

逃げればその場は楽ですが、あとあと苦労する。

そこで理解したことが後の積み重ねになり、大人になってから役に立つものが多いからです。

だからこそ、そこで逃げずにわからないこと苦手なことに正面から向き合い理解しようとすることは、自分の負った傷を素直に受け止め、その傷から目をそらさずに自分で治すことを決意した点で、非常に重要であり成長に欠かせない貴重な一歩を踏み出したと言えるのです。

傷を傷としてありのままに認められると、心が丈夫になり、困難を避けずに向かっていくたくましさが形成されます。

これだけでも大変な成長と言えるのです。

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また論理的に考えても、わからないから勉強するという考え方の中には、「わからない→わからないということがわかった→これから自分はわかるようになりたい→だから勉強する」という流れがあり、先述した昨今の傾向からすると、わからないことと勉強することとの間には因果関係がなかなか見つからないのが普通です。

それだけいろいろなクッションを経て「わからないこと」と「勉強すること」が初めて結びつく。

なかなかできることではありません。



わからないから勉強する、という考え方の中には、わからないという事実に反発する丈夫さも見て取れます。

わからないという事実にそのまま流され、わからない状態に置かれた自分を放置するのではなく、自分の直面した事実と反対の状態を想定し、そこに向かって流れに逆らって自分をより困難な方向へ導こうという「意思」が見て取れます。

「意思」がないと流れに身を任せるだけで、安易な方向に簡単に流れてしまう。

それに逆らうにはそれ相応の確固たる「意思」が必要です。言い換えれば反発心。



大人だとビジネスパースンの世界などで自分の仕事のスキルアップのために資格をとる、と言う人が少なくないですが、大人の場合は「自分に足りないものを補う」という動機で資格を得ることが多いです。

しかしそこまでの自己分析が十分にできない子どもの段階で、自分の直面した事実から反発心を覚えて奮起するのは実は簡単なことではありません。



将来社会を担っていく子どもたちが、早い段階でこうした心構えを習得し、1人でも多くの子がたくましく育っていくことを願ってやみません。