能登の震災現場にのこのこと出かけ、SNSに写真をアップしてこれ見よがしに「自分はいいことをしている」と言わんばかりのパフォーマンスを繰り広げている政治家がいます。

本人は人助けのつもりももちろんあるのでしょうが、人助けと抱き合わせに自分の政治的主張を繰り広げる下心が見え見えで、本人の自己満足にしか見えません。

人助けに名を借りた政治的売名行為にしか見えず、見苦しいことこの上ありません。



東日本大震災でも阪神淡路大震災でも、あるいは他の大地震でも同じですが、震災が発生して初期の段階はどの場所にどんな助けが必要かは被災地の自治体でも把握できておらず、被災していない他の地域の人がニーズを探すのはよほど独自の情報網でも持っていない限り、相当に困難です。

だからこそボランティアが必要だという意見もありますが、断りもなく勝手に出向いていって現場を混乱させることは、被災しただけで相当に傷ついている被災者の心を更にかき乱す悪事に他ならず、被災者の心の回復を却って遅らせることにもなりかねません。

自治体や国の対応が必ずしも適切とは言えないかも知れませんが、意思疎通の伝達系統がきちんと整備されていない段階で自分基準の「善意」で行動を起こすことは、必ずしも被災した人とのマッチングにつながる保証はなく、地元に要らぬ負担と気遣いをさせるだけで「心の重荷」を増やすだけです。



本来「人を助ける」というのは、自助でどうにもならない場合に自分以外の人の助けを借りて目的を達成するのが原則です。

そして助ける行為に見返りは求めない。

自助ではどうにもできない人に対し、見返りなどのさらなる行為を求めるのは、助力によって何らかの労働力(そう言う表現が適切かはわかりませんが)を提供する側が、見返りの有無によって助力に加減をし、場合によっては手抜きをする恐れがあるからです。

自分の利益のために人を助けるわけではない。

あくまで助けられる人の利益のために力を貸すのが「人助け」です。

従って人助けは無償が原則です。

例えば、ある家が火事になったが、その世帯は税金を滞納しているので消火活動は一定限度までで終わり、などと言うことを消防署がやっていたら、市民の生命財産は守れません。

税金滞納と人命救助は別物です。



見返りというのは、何も報酬のような財産的な対価にとどまらない。

人から賞賛されることを目的にパフォーマンスを繰り広げるのも、見返りを求めるのと同じです。

別に賞賛されなくても(前述の通り妨げはいけませんが)、自助でどうにもできない人を黙々と助け、誰に何も言われずとも黙って去って行く、それが本当の人「助け」です。

相手の利益のために専ら働くのが本旨ですから、自分が賞賛を浴びるかどうかは副次的な効果に過ぎません。

それで賞賛を浴びるならそれはあくまで結果的に起こったことに過ぎないのであって、助けた側は「望外の喜び」として受け止めるべきものです。

賞賛してくれないのなら手抜きをする、では、何のための助力かわかりません。

自力では自分を救えない人を救うのが「人助け」の本旨ですから、助ける側の目的、有り体に言うと欲望を満たすための人助けは人助けの名にそもそも値しません。



政治家が被災地にのこのこ出かけていって救助活動をやったところで、真の目的がどこにあるか、被災者のみならずすべての国民はお見通しです。

そんな安いパフォーマンスに釣られてその政党を支持するような有権者は、政治を見る目がないともいえます。



人を助けるという行為は本来無償であって、財産的にも精神的にも何の見返りも求めないのが本来のあり方であることを、今回の震災を機にもう一度見直しておくべきでしょう。