最近ネット上で、プロ野球選手が敵同士塁上で会話をすることの是非が議論されており、賛否両論あるようです。

確かに、ヒットや四球などで一塁に出ると、走者と一塁手が挨拶を交わしたり短時間会話をするなどの光景は、最近では珍しくなくなりました。

亡くなった星野仙一氏などは言葉を交わすなどもってのほかで、グラウンドでは徹底的に「闘う」姿勢を貫くタイプで、監督になってからも選手に挨拶や会話は厳禁していたそうです。



スポーツは運動による「闘い」ですから、競技場で敵同士が仲良くお話ししているのは滑稽かもしれません。

徹底的に火花を散らして自分の側に勝利を引き込むよう全身全霊傾けるのが選手のあり方だ、というのは非常にわかりやすい考え方ではあります。

闘争心を前面に出せない選手はそもそも相手に心理的に既に負けている、という解釈も成り立つので、相手と親しげに話などしてヘラヘラしていると「そもそも闘う気があるのか?」と怪訝に思われても致し方ないところはあるでしょう。




しかし私はこういう考え方にはくみしません。

プロスポーツで競技をしているのは立派な大人です。

大人の選手というのは、単純にプレイにだけ集中するのではなく、自分のプレイや相手のプレイがどうして生じたのか、どうすればいいのか、それを自分で考えることを求められます。

相手と向き合って闘うことのない体操やスキーやフィギュアスケートなどの競争も、まず自分と向き合い、そして相手の動向や成績によって自分がどう振る舞うべきかを考えることで初めて勝つことができるのであって、直接の会話はなくとも競技の結果やパフォーマンスそのものに何らかのメッセージを込めていることが多く、自分を少しでもよく見せるために駆け引きをするのはむしろ当たり前です。

単純に競技の出来の善し悪しが勝敗を決めているわけではない。

勝敗に至る過程には、心理面での非言語的勝負というものがついて回っており、自分だけを見て勝負に挑んでも、それは単なる自己満足に終わるのが関の山で、何のために大会に出て勝負に挑んだのかわからなくなります。

自己満足でも競技が成り立つのは他を圧倒してダントツで異次元の競技ができる人が自分との闘いに専念する場面ぐらいなものでしょう。



プロ野球も大人が行う野球ですから、当然生半可な技術ではやっていけません。

しかし「やっていけない」のは単に技術が拙劣なだけでなく、自己分析ができているか、相手を見て自分のあり方・位置づけを考えているかも含まれており、それは大人でないとできない技です。

相手よりも上回るプレイをするには、相手の技術や方法論も自分の技術を磨くための材料であり、そうした情報源を持っておく必要があります。

塁上の何気ない会話からそうした情報が引き出せるのなら、プロとしてアンテナを広く張っておいて、少しでも自分の技術向上に役立つ材料を仕入れる心構えを常日頃から持っておいて当然でしょう。

出塁しても会話の調子から体調や心理状態をある程度うかがうことは可能ですし、野村克也氏のような策謀家はそのくらいは朝飯前にやっていたでしょう(打席に立った選手にささやくのは日常茶飯事でした)。

そもそも「大人」なら、プレイの善し悪しと日常的な会話は峻別して扱うのが大人であって、要するに「それはそれ、これはこれ」と分けて考えることができなければ「大人」と呼ばれる資格はありません。

時に相手選手の何気ない一言から自分の技術向上に役立つ大変なヒントが隠されていることもあり、そうした機会を逃す手はありません。



ストイックに相手との会話を自ら閉め出すことは、今のスポーツでは大変もったいないことで、競技場は敵でも、一選手として尊敬できる部分はどんどん採り入れ、貪欲に自分の一部にして行くことがプロには求められていると言っても過言ではないでしょう。



どんどん敵とも会話をして、プロスポーツを面白いものにしていって欲しいと思います。