まもなくパリオリンピック・パラリンピックが始まります。
世界記録更新が期待される競技もあるでしょうから、参加する側も見る側も楽しみです。
ところで、世界記録が更新されるのは選手の身体能力が向上したからというだけではありません。
選手の使用している道具が進化したことも大きく影響しています。
高速水着(現在は使用が禁じられているそうです)や厚底シューズなど、選手の能力を更に伸ばすための「道具」が技術向上に大きく影響しているというのです。
身につけるもの以外でも、陸上競技の全天候トラックは土のグランドより走りやすいそうですし、マラソンなどで競技場の外に出て町中を走る場合などは舗装がきちんとした道の方が好記録は出やすいというのは素人でもわかります。
優勝して周囲の人に感謝するにしても、監督・コーチ・トレーナーや応援する観客に感謝することは当たり前のようになされていますが、こうした道具や競技環境を整え発展させてきた人たちに果たしてどれだけ感謝しているでしょうか?
「自分を支えてくれたすべての人々」という言葉に包括的に思いは込められているのかも知れませんが、道具が競技の向上にどれだけ影響したかはそれほどには意識されていないでしょう。
ただ、そのことを意識しすぎると、今度は自分自身の身体能力を過小評価することにもつながりかねません。
基本的には、自分の身体と自分の闘争心でよりすぐれた記録に挑戦し、たたき出しているという意識でいいと思います。
そして自分の選んだ道具は自分の能力を最大限に引き出すツールであり、自分が数ある選択肢の中から選んでいると言う意識を持つことが大切です。
実際、好記録が出るときは選手の体と道具が完全に一体化しており、精神的にも「無」に近い状態であたかも道具がないかのごとくパフォーマンスできたときです。
それはテクノロジーを利用して技術が向上したと同時に、そのテクノロジーと自分自身が一体化したときでもあり、テクノロジーと自分自身が同時に頂点に達した瞬間です。
自分をそこまで高めてくれた道具とそれを生んだテクノロジーにまずは感謝すべきでしょう。
問題は、遺伝子を操作するなどして筋肉の増強を図るような行為が想定されることです。
薬物ドーピングと違って外からはわかりにくい。
さらには受精卵の遺伝子操作により超人を生まれさせることも可能だという点です。
医学の倫理の問題にも関わることですが、誕生した本人のあずかり知らない事情でそうなっているだけに、参加を無碍に禁じるのも難しそうです。
あくまでテクノロジーは今競技している選手本人を向上させるものに限定し、選手本人が向上を実感できるものに限った方がいいでしょう。
(今回のテーマは令和6年7月20日(土)産経新聞「テクノロジーと人類」を参考にしました)