前回の記事ではあまり関係の無い事を
記事に挿入してしまっていたのでそこの部分は
さすがに別にしました
プリンス マイケル オブ ケント が
王国 でどういう立場の方なのかこれまでは
気にはなっていても調べてみたこともなかったのですが
これを機会に調べてみたら…
国王ジョージ5世(エリザベス2世の父親ジョージ6世は息子になる) の
息子の息子…
つまり 孫 になる…ということなんですか…ネ !?
なので…
プリンス マイケル オブ ケントは
エリザベス女王の 従弟 になる!?
その関係を検索していた際に
国王ジョージ5世 と 🇷🇺のニコライ2世 が
どういった親戚関係だったのか気になっていた のですが
ここでハッキリとわかりました
前回の記事を書いた際
記事とはあまり関係のないものを挿入してしまいました
と書いた後に Wiki に
この マイケル という名前は 🇷🇺皇帝ニコライ2世 の弟の
ミハイル大公に由来するものだと書いてありましたので
↑マイケルのロシア語読み?
関係は大有りだったようです ←そりゃあ親戚なんだから…あるでしょうヨ
そして…
Wikipediaからの引用ですが
マイケルはロシアに強い関心があり、流暢なロシア語を
話すことや、前述のニコライ2世と容貌が良く似ていることで
知られている。1998年に皇帝一家が正式に埋葬された際は、イギリス代表として式に参加している。
ということで
全然関係なかったわけではなかったようです。
私の頭の中は…
英国王室の家系図を見ていると
同じような名前ばかり で頭の中は
ひどく混乱していて
もう 何がなんだかわからん状態 です
ま、脳に刺激をもらえて認知症予防には役立っているカモですけど…
30年だか前に ロマノフ朝 🇷🇺皇帝ニコライ2世 について書かれた本を
興味深く一気に読んだことがあるのですが
ニコライ2世 が1917年にロシアで 革命組織のボルシェヴィキ に
追い詰められていた時に に亡命したい とジョージ5世に要請した際
諸事情のため助けてあげられなかったんですよネ
↑ニコライ2世を救出す手助けしたら後に政治的なことが影響して
王室の支持率がその存続が危ぶまれるほど落ちるだろう
と考えられたような…
って そのような単純なことではなく
Wikipedia からの引用
1917年のロシア革命によって、従弟のニコライ2世が祖国を離れざるを得なくなった際、イギリス政府は皇帝とその家族を亡命者として受け入れる用意をしたが、「社会主義革命がイギリスにまで波及する恐れがある」
と考えたジョージ5世が、ニコライ2世一家の亡命を拒んでいる
皇帝一家の救出作戦は、情報機関の1つであるMI1によって企画されることとなったが、ボリシェヴィキの位置の特定が困難だったことや、第一次大戦中だったことなどもあって、計画は頓挫し、最終的にニコライ2世と妻のアレクサンドラ、5人の子供たち(1男4女:長女オリガ、次女タチアナ、三女マリア、四女アナスタシア、長男アレクセイ)一家7人は、1918年7月17日にボリシェヴィキによって処刑されることとなった。
翌1919年には、叔母マリア・フョードロヴナと従妹一家など辛うじて生存した一部皇族・貴族達が、クリミア半島のヤルタに幽閉されていることが判明した際は、戦艦「マールバラ」を差し向け、叔母達をクリミアから黒海を経て救出することに成功した。
私もジョージ5世 の写真を見てすぐに ニコライ2世 に
恐ろしく似てるなと思いました
それもそのはず 母親同士が姉妹 だったんですネ