いつもこの季節になると日航123便事故?のニュースが流れると思い出す。
 
当時、箱根に家族旅行中でした小涌園ホテル(吉村順三設計)の入口のレベルより2・3層下の眺望はほとんどないけど緑に囲まれた広い部屋だったことを覚えています。
 
当時長男は2.3才で長い置き台(カウンター)にトミカ社製のミニカーをセッセせっせと並べていました。そこへ日航機行方不明の臨時ニュースが流れてきました。
 
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丁度長男がミニカーを並べている時にビデオを撮影してましたので再度見てみたいと思いますが残念ながら、VHSのモニターがありません。
ただ私だけ朝までテレビを見ていた記憶があります。
 
この時印象に残っているのが  場所が特定できない、 ② フジテレビの社員が現地に向かっている等の情報があった模様である。18時56分といえばまだ薄明かりではなかったかと思うので何故特定できないのか疑問でした・・・。火災もあったということで煙も出るのでわからないかな~>
 
多分後日のニュースだと思いますが事故後すぐに在日米軍が発見し昼間と同じような明るさで照明弾を焚いていたようである、(生存者の一人落合由美さんの証言)其の救助要請を自衛隊は断ったとのことです、
 
夜間に山間を救助に降りるのは危険とのことでした(昼夜関係ないと思っていたけど?そのため訓練してるのでは?)
 
米軍は夜間の救助ができるがサラリーマン化した自衛隊は無理なのかと率直に思いました。情けない自衛隊です、今もそうだと思いますが・・・。海外に行って役に立つのでしょうか?
 
結果、救助に向かったのは約15時間後の翌朝のことでした。今ネットを見るとこの事件は凄い疑義があるようですね!
 
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もうひとりの生存者の川上慶子さんの証言では、墜落直後は父も妹も生存してたようですね!
夜間に救助を始めていれば助かった命がもっとあったようです、気温の低い山の中で体が濡れていれば低体温症等で生命の危機にかかわるのではないでしょうか?遺族としてはやりきれませんね!!
520名の犠牲者のご冥福を祈ります。
 
川上慶子ちゃんの証言の一部を掲載します。
 
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ところでこの件で誰か責任取ったでしょうか防衛庁長官とか・・・今でも夜間の山中の救助は無理でしょうか