昨日久し振りに、国立近代美術館へ行きました。タイトルの絵を見に 行きました
 
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ビルマ独立式典図 1944年 小磯良平画、ここにいたるまでの経緯を調べました。 
1941年12月8日、大東亜戦争、真珠湾、シンガポール戦
アメリカ・イギリスによる援蒋ルート(中国国民軍]遮断の為とビルマ独立支援の為、南機関が創設されBIA(ビルマ独立義勇軍)創設に尽力する
 
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BIA軍創設メンバー、前列右から3人目鈴木大佐 
 
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南機関長 鈴木敬司大佐    
 
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右、アウン・サン(スーチーさんの父)、左, ネ・ウイン
1962年、クーデターを起こして軍事政権を創る(ビルマ式社会主義)再度クーデターがあり現在のミャンマーがある。 
 
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ビルマ入国前の15軍・飯田中将(大日本帝国軍) 1942年3月9日ラングーン(ヤンゴン)陥落
 
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1943年8月1日ビルマ独立 
 
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独立宣言「本日ビルマは50年以上わたる英国の領有の後、世界の自由にしてかつ主権を保有する国家の間に当然占むべき地位を回復せり。ビルマは連綿として絶えざる長き歴史を通じ、誇りを持って当然の地位を占め来たり、その間、ビルマの光栄は天における月日のごとく輝きたり」 
 
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絵って素晴らしい!!!色褪せずに記録しています。 
 
その後、日本軍インパール作戦に大敗北(牟田口中将)日本の敗色濃厚になる 1945年3月27日BIA(アウン・サン)は裏切り日本軍と交戦、アウン・サンイギリス軍の手引きによる暗殺 
 
1948年1月4日独立  、バー・モウ元首相「ビルマの夜明け」1968年より 
「真実のビルマ独立宣言は1948年1月4日ではなく1943年に行われた・・・・・・・
 
「もし日本が武断派的独断と自惚れを退けて開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否過半数の人々からの信頼と感謝とを、日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本の為に惜しむのである」 
 
「そうはいっても、最終的には日本が無敵の植民地の人々の解放に果たした役割は、いかなることをもってしても抹消することはできないのである」 
上記のブログを随分引用させていただきました、ありがとうございます。
 
追記:この日美術館に着く寸前、何やら宮城の乾門の人だかり何かと、自転車を止めると、なんと天皇・皇后両陛下の車列に遭遇、ガラス越しでしたが両陛下の表情がよくわかりました。嬉しそうでした、退院の日だったんですね