1912年10月~1913年5月 第1次バルカン戦争 オスマン帝国(イスラム)ルーマニアXセルビア+ブルガリア+ギリシャ+ロシア(スラブ系・ギリシャ正教)
 
1913年6月~1913年8月 第2次バルカン戦争 ブルガリアX他のスラブ諸国+ギリシャ+オスマン帝国 
 
1914年7月~1918年11月 オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がサラエボで、セルビアの青年に襲撃殺害されたことに端を発し、オーストリア帝国はセルビアに対して宣戦布告 
 
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大戦開始時のヨーロッパ
 
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1914年 8月時点
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1918年 5月時点
 
:同盟国 薄橙:同盟国の植民地
:連合国 薄緑:連合国の植民地 
 
追記:ロシアはボリシェヴィキ政権となりドイツとブレスト・リトフスク条約を締結した
それによりドイツは西部戦線に集中することが出来るようになった。 
当初には諸戦争を終わらせる戦争とも言われていた。多くの人々は戦争が早期(クリスマスまでには)終結すると楽観していた。 
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しかし、機関銃の組織的運用により防御側優位状況が生じ弾幕を避けるため塹壕を掘りながら戦いを進め「塹壕戦」が主流となったため、戦線は膠着し長期化した、この結果大戦参加国は、国家総力戦を強いられることになり、それまでの常識をはるかに超える物的、人的被害がもたらされた(日露戦争の2桁上である)
 
塹壕戦を制するうえで初めて化学兵器(毒ガス)が使われた。 
塹壕X毒ガス 
1914年8月23日 日本は、ドイツに宣戦布告、日英同盟により連合国の物資等の護衛・山東省・青島(ドイツ領)とパラオを含む南太平洋(ドイツ領)を占領し同盟国側物資を止めて連合国側の西側戦線(ベルギー南部・フランス北東部)を側面から協力した
 
1917年 10月 ボリシェビキ(レーニン等)による、ロシア10月革命
 
1918年 11月 連合国勝利で戦争終結(約4年半)1919年 パリ講和会議、ベルサイユ体制 
 
この戦争はヨーロッパの君主制(ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国・ロシア帝国)の消滅をもたらし、旧世界秩序を決定的に破壊した
 
日本は山東省の利権と南太平洋の島を委任統治することになった 、これで日本は1件落着と思いきや?
1918年 シベリア出兵 ロシアにできたソビエト(社会主義)へ干渉戦争(約4年)に巻き込まれることになります。次回へ、ヤレヤレ シナ事変まで行かない2時間半かかってしまいました 、写真・文章:WIKより