今朝も早起き、おはようございます♪KAB.です。

相手を思うことって難しいなぁ。と、色々な場面で思います。
仕事もそうだし、友達やなんかもそうだ。
相手を思うこと、それ自体はとても良いこと!思う気持ちがないと、きっと自分が!自分は!ってなって、通い合うこともなく失うことばかりだろう。思い合える気持ちがあるからこそ、まずはプライベートの関係が色々な形で成り立つのだろうと俺は考えている。
生まれ持った家族間でも、思えるかどうかは生活をどういうものにするのかを決めてしまうことがあるだろう。
友達同士でも思う気持ちがなければ別に一緒に居ても面白くもおかしくもない、なんていうことになってしまう。

で。最近考える。

何がその人の本当に役立つことなのか。
普段はもちろんそんなかたっ苦しいことばかり考えて接するわけではないよ(笑)でも、なんとなく考えさせられる事があったりして。
「あの人のために・・・」って思い続けた結果が変な方向だと、それはもはや「優しさ」を遥かに飛び越えて方向転換の後、「甘え」に変わってしまう。
「あ、こいつは何をやっても何を言っても怒ることも離れていくこともないから色々言ってやれ~♪」なんていう雰囲気を作ってしまうこともしばしば。
その加減が、わからない。親しくなれば色んなことが変化するのはあるけど、それが仕事になると一瞬にして変な方向に行ってしまう。
ついこの前もそんなことが。
それが対お客さんとかになると、その場ですぐに臨機応変にしていかなくてはならないのだけど、俺の判断は「聞かないこと」だった、その場に関しては。でもそれが思わぬ方向に、怒って帰っていった。
事情を仕事の人に話すと、別に間違ってはいない。仕方がない。それで良かった「と、思う」。
それが答えだった。

そう、「思う」なので、正解が1つではない。それが難しい加減のしどころだよなぁ~って。
間違いも正解もないのだけど、もう少しいい方法はないのか?と考えてしまった。

人同士の気持ちの話。思う気持ちの「思い方」は様々が当たり前。
俺がどんな風に接するのかも俺の加減、それを受けとる人の思いはその人の加減。
またその逆も同じく。その人の思いをどう受け取っているのかは俺の加減。
考えれば考えるほどに答えがなくなっていく気がするごちゃごちゃスパイラルです(笑)

でもひとつ言えるのは、自分の思う気持ちは自分のものでしかないので、例えばどうすればいいのかを考えるときにはそれ自体を考えていかなくては結局変わらないのだということ。
受け入れ窓口が狭い場合は広げること、狭い場合は広げることを考えれば、きっと接する方法も変わるのだろう。

広げすぎれば何もかもを受けすぎて自分が何なのかわからなくなってしまう。
狭ければ何も許すことすら出来ずにそれはダメ、あれもダメ、とどんどん心を閉ざすことになるだろう。

ちょうど真ん中辺りで止められたらいいのに!!!

なんてね♪もちろんそう出来たら楽に生きられるだろうけど、そう簡単に出来ないのが人間。
だからこそ、個性があったり楽しいことや悲しいこと、嬉しいこと、そして幸せという感情もあるのだろうから、文句は言えないよね♪

考えすぎはいかんね。なんでもそうだけど過ぎることはあまり良くないかも。疲れちゃうし、頭が他の方向にいかなくなっちゃう!

さて、別の事を考えようかな♪

ただいま大好きな新幹線で移動中。大阪レッスンの仕事納めから帰宅!
今年最後はちょっと贅沢してみました♪