「第三回 あしたか音楽祭」へのご参加&ご協力ありがとうございました🙇
感謝の気持ちを込めつつ、振り返ってみたいと思います。

昨年の第二回は、参加者10数名でリハ室&第一工芸室の午前&午後2枠を借り、こじんまり開催した「あしたか音楽祭」(ノリで仰々しい名前をつけましたが 笑、ごくごく内輪のほのぼのおさらい会)

10数名でも時間枠ギリギリで、ゆったりはとれなかったな~と思いながらも、とりあえず第二回と同じ2枠のリハ室と第一工芸室を押さえたのが昨年の10月。現中3の金管&木管アンサンブルになんとなく声をかけた時点で、「せっかくだから丸1日!最後のコンサートはイベントホールで!」と夜間枠を追加で借り、午前~夜間枠全てを借りて3回目の準備がスタートしました。(施設は仮押さえができないので、予約した時点で支払いまで済ますシステムです。週末はイベントも多く、埋まってしまったら終わりなのでなかなか判断が難しいです。)

音楽家になりたい!という長男に「あんたが運営苦手なのは知ってる。だけど本当に音楽家になりたいなら、運営側も経験しな。経験しないと大変さは本当にはわからない。そもそも、本気でやらなかったら本当に苦手か?なんてわからないし。」と、とりあえず演者のグループLINEから私は外れました。…文字に起こすと、すごくしっかり考えを持ったお母さんのようですが、実際は、仕事でへとへとになって帰ってきた直後に、でかい身体でリビングのベストポジションに寝そべりながらiPadでYouTubeをヘラヘラ眺めてる長男にイラッときて「あんたがやりなさいよっ💢」…となった気もします。

私は準備万端にすることもあるけれど、結局はその場のノリで本能的に動くタイプなのでいつも周りをふりまわしている自覚はあります。今回もそんな感じです。ま、でも歴史なんて理由は後付けがほとんどだろうし、流動的だから面白いんじゃん…そして、これからのAIとの共存社会に「人間だからこそ!」を発揮できる分野こそが『臨機応変』だとも思っています。

(家族はじめ周りのみんな、いつもフォローありがとう)


とは言え、第一回→第二回の人数はさほど変わらなかったので、第三回もそれほどではないだろうから、大丈夫だろう…とのんびり構えていましたがしかし…

第三回は素敵なメンバーがさらに素敵なメンバーを呼んでくださり、いきなり大きくなった「あしたか音楽祭」
私も長男もびっくり!!のまま対応しきれなくなり、その場その場で、皆さまの善意に助けられて参加者プラス観覧者で100人越え!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ!!
「あしたか音楽祭」という名にふさわしいコンサートになりました。

準備不足&人手不足のため、ハプニングや対応しきれていないところももちろん多々ありましたが、イベント運営はもとより楽器素人『音楽ヲタク✨のこども2人の母』というだけの私に運営のイロハを教えてくださりながら活動の場を提供してくださったベルフォーレの皆さま。

休憩もプログラムもない状態で、2時間強の長丁場に耐えてくださった観覧者の皆さま。(いつ呼ばれるかわからない病院の待合室のような…途中、演者は暑くて設定温度を下げてもらったエアコン効きすぎて寒かったですよね🙏)

相談を受けていただけなのにいつの間にか運営側にまわってる…はて??と、きっと疑問をいだきつつも快く裏方を引き受けてくださった皆さま。(当日のトラブルでみかねて動いてくださった方も数名…)

その中でも、

こちらの連絡ミスで結果依頼が本番当日‼️になったにもかかわらず、「聞いてないよ~😅」と言いながらも、合わせは本番30分前のみ!ピアノのアドリブソロを入れ込んで下さい…という無茶振りありの『宝島』の指揮を引き受けてくださった指揮者K先生。

練習日の参加人数が不確定だったため、徴収額の相談をさせてもらった流れで、一番大変な会計を本番1週間前にそのまま引き受けてくださったI夫妻。

出演者でありながら、ドタバタの中でも毅然と司会進行を勤め上げてくれたEさん。

そしてやっぱり、最小限の指示のみでちゃーんと臨機応変に動いてくれた出演者のみんな!!

ぎゅうぎゅうの合奏『宝島』では文句も言わず(言ってたかも…?!)譲り合って並んでくれただけでなく、最年少のトランペットくんに周りのメンバーが登るためのイスを用意して高さ調節したり、ピアノくんのソロの時には見えるように前の列がしゃがんでくれたり(狭かったのに楽器守りながら動いてくれてありがとう!)


……関わった全ての皆さまの温かい気持ちですてきな音楽祭になりました!!本当にありがとうございました!!!


合奏『宝島』は本当に感無量✨あのひとときは、文字通り宝島でした✨

次は主な立役者を時系列で紹介していこうと思います。