在宅になり、最初は容態が良く落ち着いて過ごせました。

食べる量は減る一方でお医者さんから「24時間点滴をしていますから無理に食べなくていいですよ」と、言われるとほっとしたようです。あんなに好きだった食事の時間が苦痛だなんて、夫が夫でなくなるのを実感しました。毎晩晩酌した黒霧島、口に含めてみたらやはりダメだったのでしょう・・・俯いていました。

毎日お風呂は午前中に済ませます。看護師さんの為に午前中なのです。

何をする時でも私に側にいるように言い、「お母さんお母さん・・・」

不安で堪らないと言うのです。これも夫らしくない行動なんです。

私と実母を間違えているのかと思うほどで「お母さんは〇子(母の名前)さんですか?」と聞くと、夫は「違いますよ、オリヒメさんに決まってます」私の頭が変になったと心配していました。私の存在があって嬉しくもありました。冗談で「オリヒメさんが天国に来たら、一番偉い人にしてもらえるようにしておくからね」そんなことまで。「お父さんに出来るの?」と、笑いながら話をしました。

 

さて、痛みは日に日にまして、その都度お医者さんに電話で相談をし、フェントステープの量を増やす指示がでます。それでも痛みがあればレスキューでオキノームの座薬を足します。オキノームは3時間が過ぎたらまた使えます。これもその都度電話で確認しました。

半日くらい何の痛みがない時もあり、庭で日向ぼっこをしたり・・・

ささやかな至福のじかんでした。

体の浮腫みが増し足がパンパンになり、足湯をして看護師さんに指導されたマッサージをやりますがほんの少し楽になるのですが、ほんの少しでも楽になることがあるのは救われました。私には夫が死ぬとか生きるではなく、身体の苦痛を無くすことしか考えられなかったのです。

難問は吐き気でした。いつ何時でも黄色い液体を吐くのです。寝ていてもブアーと出てきます。吐き気止めの座薬をしても効果はありません。シーツの洗濯が間に合わなく、枕元に使い捨てシーツを重ねていました。せめてキレイな寝具で寝て欲しかったです。

夜は長い時間眠るとこがないのに、在宅になり一週間くらい経った晩に夫がよく眠っています。でも何か様子が違いお医者さんに様子を伝えと「旦那さんはチェーンストークス呼吸を起こしています。ご家族で見守って下さい、呼吸が止まったらもう一度連絡をして下さい」と、電話がきれました。えっ、お父さんは死ぬの?慌てまくりました。娘と三人で「お父さんお父さん・・・」呼び続けるしかありませんでした。暫くすると長女は「私もうヤダ。私、怖い」と泣き出しました。私も怖かったのです。いつもお父さん居て怖い思いなんかしたことがないのです。ずーっと夫に守られていたのです。家での看取りを浅はかに考えていたのに気付きました。夫の呼吸は落ち着き朝方、何事もなかったかのように夫は起きました。ヘトヘトの私達は「も~~お父さん心配したんだよ。死ななくて良かった!」と、言っても夫にはちんぷんかんぷんです。

夜中の一件で朝一番に看護師さんが来ました。夫の容態がそれほど悪く、今後は呼吸を抑制する薬を勧めます。それには今直ぐは従えませんでした。

呼吸が止まったら連絡を指示するお医者さんに疑問を感じました。夫は持ち堪えましたが、亡くなる前兆であって・・・この対応は私には不満であり、不安もありました。もうひとつは夫を家で看取った後、子供はここで暮らしていられるか?22歳で考え方が幼いかもしれませんが夕べの長女の言葉は本心です。ウチの家族全員にとって一番良い方法を選択しなくてはなりません。

また次回に続きます