余命を察した翌日、2015.6.8
朝、心配しながら夫を送り出しました。
いつもより少し早い時間に夫の車の音がして、具合が悪くなって帰ってきたと思って迎えに出ると、作業着の夫が立っていました。
「お母さん、今日で会社を辞めました。もう限界です、無理です」
「長い間、お疲れ様です。これからは治療に専念しましょう」
またこんな言葉しか出なかったです。身体がキツイのはもちろんでしょうが、昨日のS先生とのやり取りで決心したと分かりました。
今日の今日で会社には迷惑をかけたのを気にしてます。
今まで入院等で迷惑をかけた時に、近所では有名なお菓子を会社の方々に渡していてとても好評なのです。「今からお菓子を買って明日着の宅急便で送りたい、いつもより豪華なのがいいな」私は急いで注文に行きました、数が多く1時間くらいかかるので家の戻りました。受け取るのに夫も行くと言うのです、どうしても明日着にしたくて宅急便の集配所まで行きたいのです。几帳面な夫らしいのです。間に合って一安心。
私は夫がどんな思いで退職を決めたのか・・・考えたり想像すると胸が苦しいです。玄関に立っていた夫の姿、大切な物を失ってがっかりしている感じ・淋しそうに見えたのは気のせいでしょうか。
去年定年になった夫は1年ごとの雇用で、数日前に再雇用の書類を受け取り、上司の評価は満点でコメント欄には 業務に必要である、と、記されていました。「オレ、今は捗って仕事が出来ないのにこんなのくれたんだよ」嬉しそうに見せてくれました。会社関係の書類を見せてくれたのは初めてです。自信と自慢だったと思います。残念無念が一番ふさわしいです。
2015.07.15までは会社員です。「Kさんにとって一番有利になるように」上司の配慮に感謝です。
翌6.9日、仕事に行かないのが不思議で持て余してました。夫と私の公休日が違うので二人してゆっくりした朝は久しぶりです。
なのに癌は容赦なく襲ってくるのです。昨日までは会社にも行っていたのに、それほど気が張っていたのかな?。何分もしないうち、夫は高熱を。もしかしたら解熱すると願いたく外来時間ぎりぎりまで様子を見ましたが熱が下がらず病院に行きました。
外来の看護師さんも馴染みで、夫の姿を見つけ早々に処置室に入れてくれました。S先生が直ぐに診てくれ病棟の師長さんも飛んできました。私には強気な夫なのに師長さんに「もうオレの身体を助けてよ」師長さんは「分かってる、こうして助けに来たのよ。入院して落ち着かせましょう」夫は「入院なの~」困った顔をしてます。
入院で夜に私が居ないのが不安なのです。師長さんは個室なら私も泊まれると夫を説得します。「え~、、個室って差額はいくらよ、オレはね、4人部屋の3000円の差額でも嫌なのに1万円の差額なんて冗談じゃないよ」この状態でそんなこと言わないでょお父さん・・・。私も付き添いは意外でしたが、「取りあえず落ち着くまで入院しよう、私も居られるし」と言うと夫は「贅沢しちゃおうか!」説得できました。病棟に運ばれ大好きなY看護師さんに「退職しちゃったよ」と、挨拶するとYさん「あっ、やっと辞めたの・・良かった良かった」信頼関係がある証拠ですがYさんの対応はいつも暖かいです。
夫は病室に通され、私はS先生から呼ばれていました。「これが最後の入院になると思います。Kさんの希望はありますか?」私は迷わず母親と会いたい と、答えました。南信州までは無理とサラッとかわされました。S総合病院は救世病院でホスピス病棟がないので転院と思い込んでいました。(S先生の見立てでは夫はほんの少ししか生きられないのです。)次は看護師さんが私を待っています。「S先生からお話があったと思います、Kさんのお看取りはどうしますか?」私の頭はぐちゃぐちゃです。「えっ、私の夫は死ぬのですか?」看護師さんは困惑してます。「考えておいて下さいね」と、看護師さんが泣いています。聞き分けのない私、現実を理解してない私、、、だったようです。そんなとこを想定して夫と居るなんて無理です。自然に任せるしかなかったのです。
暫く入院して、在宅医療へと・・・。
次回に続きます