2015、連休明け

モルヒネ持参で仕事は続けています。

身の置き場がないようで、眠れない夜、、、

クッションや座布団で角度を付けて一番楽な姿勢を探しますが、直ぐに起きてしまい苦しそうにして、思うようにならない身体にジレンマを抱えながらまだまだ頑張ります。

食べたい気持ちはあるのに通らない・・・思考能力は普通なので、これは残酷です。この時点でも夫は諦めていません。

尿の出が悪く、ストマーが浮腫み直結8㎝です。パウチから漏れます。漏れのストレス、取り換えるのも疲れ、私が病院に行って相談し、利尿作用の薬をもらって様子をみる、疼痛にはフェントステープになりました。

以前から「生涯現役」夫の理想でした。でも限界を超えています。

どんなに言っても退職の選択をしてくれず、どこで何が起こっても、私はどこまででも骨を拾いに行く決心です。夫曰く、「会社では調子が良くてそんなに頑張ってはいないよ」。男の人にとって仕事は命と同じ価値のように思いました。一言では難しいですが、私の夫は立派な男です。

利尿作用の薬とフェントステープで少しだけ楽になりましたが、食べることはダメです。

S先生の勧めで5月末にポート埋め込み処置をしてもらい高カロリーの点滴をすることにします。ただ、栄養は摂取出来ても癌にも栄養がいってしまうと・・・でもやらない訳には出来ませんでした。

6・3~5、入院して私の点滴指導です。看護師さんの配慮で、朝の6時~18時までは外出許可で仕事に行きます、勤務時間以外で点滴を行います。いくら仕事でも夫の思い通りにさせて下さったお医者様と看護師さんに感謝です。看護師YさんがS先生を説得してくれました。

退院して翌7日、日曜日でした。夕方、痛みが辛く病院に連絡しますと、S先生がいらしゃるので来院するようにいわれました。

痛みはフェントステープの量を増やすことになりました。

夫は真剣な顔で「オレはどのくらい生きられるの?一年?半年?三か月?一か月?」S先生は首を横に振ります。

「状態は悪く明日かもしれませんが、お正月が迎えられるかもしれません。今まで通り出来る治療をしましょう。緩和ケアを考えますか?」夫は頭を下げて診察室をでました。

廊下の長椅子に座り、「お母さん、オレ馬鹿だったな。仕事しちゃったよ、、。お母さんと旅行もしたいのに、仕事しちゃったよ」

私は震えてました。でも何か言わなくては、、「お父さんが働いてくれたお陰で不自由のない生活が出来たよ馬鹿ではない。旅行しようよ」つまらない言葉しか言えなかったです。

夫は苦笑いしてました。

しっかりしていない妻でゴメンね。

月単位、週単位、、夫の容態の変化・・・

次回に続きます