ゴールデンウイーク最中に退院をしました。

5・3、この日は珍しく家族4人の予定がなかったので夫の提案で房総へ海鮮を食べに行くことになりました。子供達が車の免許を取ったので運転のノウハウを教えておきたかったのです。本調子でなくても「そこは止まれ・おい、後ろが渋滞してる、、」小言の連続です。恐ろしいドライブでした。富浦の海鮮のお店では一人前を食べられ嬉しそうな表情は忘れません。普通のことが喜びなのです。

連休明け7日から仕事に戻りました。モルヒネ持参です。出勤前に使い会社では気が張っていたのかほとんど使用することなく、夜帰宅すると痛がることが多かったです。お布団で寝ることが難儀になったのもこのころです。退職を促すと「オレの身体で他の会社では採用してくれないよ、もし良くなった辞めたら、も・っ・た・い・な・い」どうしたらこんなに頑張れるのか?夫曰く「皆が思うほど頑張れないぞ」 いい男です!

 

年金事務所で障害年金の手続、必要な物を揃えて委任状を添えこれからは私が事務手続きをすることにしました。

12日、病院からの意見書をもらい「確認してお帰り下さい」と言われかのでその場で封を開けざっと読み、一番下の所に

予後一か月と思われる。記してあります。慌てて書類をたたみました。頭が真っ白で気付いたら結婚した時に借りたマンションに着いていました。泣きながら自転車を走らせていました。嫌だ・嘘だ・どうして・・、一人で苦しむしかなかったです。夫には絶対に言わないと心に誓います。夫は以前からオレの身体のことは隠さないで欲しいと言われてましたが、これほど希望のない事を話すのは出来ません。夫に初めて隠し事をします。

 

私は翌日ワタシの仕事に行き、「今日でもう仕事に来るのとが出来なくなりました、休みが不可能であれば退職でお願いします」と上司に伝えました。14年、家族の協力のお陰で勤めたパートの仕事です、無責任であっても仕事どころではなく夫の側に居たいだけです。

驚く上司に事情を話し、前例がなく何人かの上司を交えて今後を考えてもらえました。有り難いばかりです、真面目に勤めて良かったです(自画自賛)。無期限の休みに加え、雇用保険で家族の介護で給料補助の制度が始まりそちらの手続きまでしてもらえました。

私が一番に家を出ていたのですが私の出勤前に夫は痛みや眠れないことを訴えていたので、「オレじゃなくお母さんが休むのも変だけど、安心で助かるよ」と言ってくれました。こんな私でも頼りにしてくれるのです。

夫の食欲は減りモルヒネは少しずつ増えます。病気になってから治療や薬などの管理は夫が、私は食事面でバックアップしてきました。食事の量が唯一のバロメーターです。手を変え品を変えますがどうしてもダメなんです。作り続けるしかありません、だってもしかしたら食べられるかもしれませんから。

夫が会社に行っている間は体を休めて、夜はずっと起きて様子をみる毎日でした。

 

栄養のある点滴を、、ポート埋め込みをします。

次回に続きます