2015・3・7
肺炎、敗血症と診断され、落ち着いた所に
3・19、シスプラチン点滴で入院です。いつもなら、3日間入院で二日目にシスプラチンを行います。
整腸剤・消化剤・鉄剤・免疫力を上げる薬・TS-1、ご飯のような薬の量です。生真面目な夫は使命感のように服用してました。
食欲不振は増していて、病院の食事を断って私が作った物を食べていました。身体に良い物ではなく、、食べたい物で構わないと先生は言ってくれました。少しでも食べて欲しい思いで作っては届けました。が・・初めてです、抗がん剤の副作用でも吐くことがなかったのに初めて夫が吐いたのです。S先生は慎重に検査をし、結果は小腸にある癌細胞が食べ物が通過すると異物反応を起こし小腸を狭窄するのです。乱暴な言葉ですが、やばい と、感じました。
ただ、夫が闘いに向かっているので悲観的にはなれません。
「僕には何ができますか?」S先生に食らいついてます。先生の方が引き下がってましたが、そうはいきません。暫く考えてくださり、
小腸にバルーンを入れて狭窄する部分を広げる、開腹手術で狭窄する部分を通過しないようにバイパスを作る、、2つから洗濯です。
嘔吐をしましたが場合に依っては食事が出来るので10日間入院してひとまず退院です。
夫はサクラが大好きでした。この時季は気心しれた仲間と夜桜で一杯やるのが恒例で楽しみにしていましたが、本調子ではなく風邪の心配もあって我慢させてしまいました。病院からの帰り道にサクラが満開でしたので、「父さん、今年はここのサクラでどうですか?」と。夫は黙って笑っていました。
退院して数日で食べる量がどんどん少なくなりS先生に相談に行きました。先日説明された狭窄する小腸をどうするか、夫の答えは決まっていました。2つの洗濯のリスクを確認して「バイパス手術をして下さい」夫と共に頭を下げました。外科手術には予定があるようですが、緊急手術扱いで行いますからと聞き入れてもらえました。
4・10に入院しました。夫がうっかり仕事の話をだしてしまったら、温厚なS先生が厳しい表情で「緊急手術ですから」一喝されました。
10日に手術の予定でしたが微熱があり翌日に延期になりました。パソコンを持ち込んでベッドの上で仕事をしている夫に私も呆れてしまいましたが、S先生にも見付かり・・・「本当に真面目なんですね、疲れない程度でお願いしますょ」???抱えていた仕事を終わらせました、夫らしいです。
ストマー造設を含め4回目の開腹手術です。お腹は傷だらけ。
予定より時間がかかり、癒着が多く、バイパスの通る所のあばら骨を削ったようです。無理をお願いしたのもあり、S先生にお礼をしました。とても恐縮してました。
この病院の看護師さんはしっかりとした教育がされているのでしょうかレベルが高いです。長いお付き合いで信頼関係もあります。リーダーを中心に8名くらいのグループで看護してくれます。リーダーのYさんは30代で夫と仲良しです。「Yさん、オレこれからは食べられるかな?」Yさん「う~そうでもないよ」えっ、、私は聞こえない振りをしました、夫「そうなの?」笑っています。今まで夫は必ず回復しました。奇跡を信じる段階なんて思ってもいません。この時に夫の容姿が癌患者特有の顔になっていることにも気づかなかったのです。
術後痛みが収まり少しだけ食べる量が増えました。夫は手術をして良かったと言いましたが、癌は益々悪さをしてきます。20日間の入院で退院の直前に脇腹の痛みを訴えます。
癌の疼痛です。直ぐにモルヒネの座薬を処方してくれます。私の中では臓器の機能の眠らせ痛みを無くす、イコール亡くなると認識していたので尋常でいられません。少しの量では患者の負担を軽減するらしく夫は躊躇なくモルヒネを使い、身体が楽になって助かったと言ってます。私は混乱するばかりです。
4・29 退院。ゴールデンウイーク真っ只中です。そんなことはどうでもよかったです。
長くなりましたが、この頃のことは昨日のように鮮明なのです。
この入院でストマーが障害年金の対象と知り手続を始めます。お医者さんの意見書に夫の予後が一か月と記してあります。
次回に続きます