H先生からS先生の患者になり今度は木曜日に通院します。

サラリーマンが平日に通院するのは大変です。それも4週間に一度です。半休は可能ですが、入院を想定しますと有休は使いたくありません。夫は会社に無理をお願いして、公休である土曜日に出勤を振替てもらいました。有り難いばかりです。

癌治療は期間が長く会社の理解が望めず退職はよくあるそうです。誰も望んで病気になっていません、治療費もかかります。新しい職場を探すのは論外です。会社のバックアップは不可欠であって、、退職を促す企業の方が多いのは国の問題として直ぐにでも改善をお願いしたいです。

夫は「俺、普通に仕事しているし、首にされる理由ないだろっ」と言うので、感謝をするよう一喝しました。

本題です。

先週からお腹の不調を訴えていたのは解消されず、月曜日は病院に行くか迷い・・・S先生の予約の木曜日まで待つことにしました。

夫より先に出勤する私は夫の朝の状態の変化は知りませんでした。水曜日、私の職場にS総合病院より電話がありました。「旦那さんが苦しんでいます。直ぐに来てください」

何が起こっているか想像も出来ず、上司に早退をお願いして慌てて病院に向かいました。S総合病院の入口に入ると大きい声で苦しんでいるのが夫だと分かりました。夫は会社で血尿が出て急いで病院に、自分で運転して病院の受付までが限界だったようです。処置室のベッドに寝かされて、「苦しい、どうにかしてくれよ」顔面蒼白です。先生は直ぐに来てくれません。救急で来たら良かったのでしょか。看護師さんは入院をして病棟なら直ぐ診ますというので、私は入院手続を夫は病棟に運ばれました。

H先生が居ますが掟があるようで、S先生を待ちます。先週の引継ぎのままで夫のカルテの確認はまだなんです。責める気はなく早くどうにかして欲しいしかなっかたです。

再々転移した癌は大腸の横行結腸から下降結腸の近くにあり、癌が大腸を塞いでいるのです。胃は無く大腸が塞がってしまう、、素人の私には何も分からないです。大腸の便が出口にいかれないのです。まず最初の処置として胃管を入れました。深緑色の液が少し管から出てきます。便です、臭いもしてます(汚い話でスミマセン)でもスムーズに出るのではなく、看護師さんが時々器具で吸い上げるのです。出る量が多いと楽になっています。数日続け、今度は胃管をもっと奥まで入れるのです。病室から処置室に移動し長い管に取り換えます。直ぐ終わるので私は病棟で待つように言われ、状態が落ち着いた夫は車椅子に乗るのも恥ずかしくて苦笑いしています。

一時間が過ぎても戻りません二時間近くすると、看護師さんが物々しく夫のベッドの高さを変えて酸素を用意してます。えっ?何があったのか聞いても待って下さいと言うだけで、私は心配と不安で立ちつくしていました。ストレッチャーで夫が運ばれてきました。

苦しそうにうなって意識が朦朧としてます。S先生が同行してきました。私はなぜか「夫は死ぬのですか?」とっさに聞いてしまいました。S先生は「管を入れるのが大変でした。亡くなる可能性は0ではありません、今は日常生活が戻る方向で治療をしています」私「どうかどうかお願い致します」それだけ言うのが精一杯でした。

暫くすると夫が起きて「頭がしっかりしているうちに言っておく、お母さん世話になった。俺の人生はお陰で大成功だったな」何が何だかわからないです。「お父さんは死んじゃうの?お世話になったのは私だよ」泣いちゃいます。間違いなく辛そうなですが大丈夫のように思えます。「S先生は大丈夫と説明されましたよ」と言ってみました。夫の顔がにっことして、処置室での出来事を言い出します、、管を何回通しても管が先に進まずS先生は諦めたんだよ。側に居たレントゲン技師が食道と小腸の接合部分が二股に分かれていることに気づいてどうにか管が通ったんだ。神が居たよ、でも諦めるなんてな、、、。胃全摘手術で先々何か起きた時の逃げ道を作ってあったのです。苦しめないで気づいて欲しかったです。

長くした管で吸い上げることができました。

大腸を詰らせている癌、手術で取ることは可能ですが、またそこから癌が出来て繰り返すそうです。人工肛門はその心配はなく回復も早く食事も直ぐに出来るそうです。夜遅くH先生が訪ねてくれました。夫には特効薬です。H先生にこっそり相談すると人工肛門を勧められ、、夫の迷いはなく人工肛門造設を決断しました。

以前の大腸手術で人工肛門になるのを嫌がったのに、腸閉塞には敵わなかったのでしょう。

ストマー造設、、次回に続きます