戦の生き地獄 伝え残したい



2014年3月24日沖縄タイムスにーーー内の投稿がありました。

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戦の生き地獄 伝え残したい
石川 栄喜=84歳
 私が、自分史に書き残したいことの一番に、沖縄が戦場となって、
中学3年生の私が、軍服を着用し、二等兵となり、戦場に参加させられたことである。

 軍務は数百人の食事を作ることだった。部隊から派遣された下士官が2、3人いた。
炊事の態度が悪いとのことで、両あごがはれるほど対抗ビンタを張らされた。学友のあごが
はれるほどのたたかされた。心の痛みは、いまだに消えない。

 米軍が沖縄に上陸すると、数百人の学友は、数人づつ配属された。首里、那覇への
米軍の集中攻撃によって、目前で多くの人たちが無残に亡くなっていった。阿鼻叫喚の
巷と化した。

 摩文仁の丘の波打ち際は、藻草のように死体が連なっていた。

 戦後も60余年となり、生き地獄に追い込まれた私でさえ、それらの
ことが風化していく。目前で、息絶えていった学友の叫びを忘れては
ならない。合掌。
(うるま市)
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私見

私は米軍が沖縄に沖縄に上陸した当時は、台湾の新竹州に
住んでいました。

投稿者と同じ中学3年生でした。

4年生全員と3年生約半数が陸軍二等兵となり、海岸の警備の軍務に就きました。
私は学校に残って居た組みでしたが「あと2週間で陸軍二等兵になる」と言われた
直後に終戦になりました。

私は投稿者のような悲惨な経験は有りませんが、「自分史」のようなものをブログに
書いています。

昭和20年7月ごろ、台湾で米軍機が撒いていった宣伝ビラ『落下傘ニュース』?では
『フクちゃん』の漫画と共に、沖縄では戦闘は終わり静かになっているのとの意味の文章と
共に10歳くらいの少女が、子供を背負っている写真が載っていました。

沖縄とはどのよう所かまったく分からず、ただ想像するだけでした。

後に沖縄に来て苦労するとは夢にも想っていませんでした。

引用
『フクちゃん』は、横山隆一による日本の漫画作品、およびそれを原作としたアニメ作品、架空の人物の名称である。着物に下駄、大学帽という容姿で早稲田大学のマスコットキャラクターとしても知られる。