台湾での生活 亡父の救いに



2014年3月25日の沖縄タイムスにーーー内の
投稿がありました。

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台湾での生活 亡父の救いに

宮城 睦子=62歳

 4年前、父は、92歳で永遠の旅に出た。母に先立たれて、晩年は施設で
暮らしていたが、会いに行くといつも台湾のことを話した。

 わずかな年月をかの地で警察官をしていたが、20年以上も石垣島でやっていた
農業の話は全くなかった。食べ物が豊富で、皆優しくて、隣近所の方々と仲良く楽しかったと
いゆことばかり。

 数年前、娘と2人で台湾一周をして、なるほどと思った。豊かな自然、パワーあふれる人々、
おいしい食べ物等々、生きている時に一緒に旅してけば、と公開した。

 亡くなる前は、「早く母ちゃんに迎えに来てほしい」と言っていたが、先に台湾に行った
母を追って、今ごろ、2人でいとしの台湾を旅しているに違いない。

 人は苦しいことは忘れ去り、楽しかった記憶をとどめる傾向があるというが、苦労の多かった
父の人生に、台湾での生活があったことが救いである。

(南風原町)
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私見

お父さんを偲ぶことができた良い旅でしたね。

お父さんがどのような地位でどのような勤務を
なさっていたか分かりませんが、

>隣近所の方々と仲良く楽しかった

というと「巡査派出所」に勤務されていたかもしれません。

私は、戦前、台湾新竹州の田舎に住んでいて、私たち家族の
住んでいた隣が「巡査派出所」でした。

巡査は内地人1人、台湾人1人でそれぞれ三八式歩兵銃を
持っていました。

台湾人2人が棒で担いできた、屠殺された豚に検印を
ぺたぺた押していました。
事件も無く、平和な勤務でした。

実際に見ていないので分かりませんが、
高砂族の住んでいる地方の「巡査派出所」では、
狩猟をするための猟銃を管理していたとか・・・

いずれにしても、台湾人に酷いことをしない限り
楽しかったでしょう。

私の家内の叔父は、宜蘭県の高砂族の住んでいる地方の「巡査派出所」に
勤務していて、家内は遊びに行ったことがあるそうです。
生活は楽しそうだったようです。

南風原町=はえばるちょう

※私は、現在沖縄県那覇市に住んでいます。