早いもので、新年あけてもう2週間もたつんですね。
のりりん家のお正月は長女と次男が帰省。一緒にすごしました。楽しい日々はあっという間に過ぎ…子供たちはまた名古屋へ戻りました
次男が先に帰り、その後娘は車で送り届けました
ついでに名古屋でお買い物
いえ、あれではありませんよ。
ぴよりん🐥はあれから大人気になってしまったので、入手しづらくなりました。
ならば別のものを!
その名は
ルイ美豚🐷
娘を無事に送り届け、ルイ美豚🐷オープン!
レニエ さんで購入。HP貼っておきます
さてさて、本題へ移ります。
2021年10月13日のお話です。正直…あまり覚えていません
この日は大野城→水城とやってきました。
大野城と水城は大宰府のALSOKと散々申してまいりました。この流れでいくと、大宰府へ行くのが普通だと思いますが、私ってへそ曲がりなんですよ~。
時代背景も違う福岡城へやってきました
最寄駅の大濠公園で降り、福岡城へ向かいます。広場へ出てきました。
ここは三の丸です。
屋敷や御殿、役所、庭園など様々な用途・目的で利用されてきました。
明治期には県庁として使われていましたが、数年で移転。以降は陸軍の練兵場として利用されていました。
現在は広場となっています。
門が見えてきました!名島門です
着物👘を着たお姉さんがいます。
この近くにある三の丸スクエアでレンタルしているようです。
撮影スポットらしく、着物のお姉さんたちがずっと写真を撮っていたので先へ進みます
福岡城は関ヶ原の戦いの功績によって徳川家康から筑前52万石を与えられた黒田長政によって、7年の歳月をかけて築城されました。
黒田長政とその父、黒田官兵衛が手がけたお城であり、戦いに備えた造りになっています。
縄張り図やパンフレットをゲットできないまま歩きます。ネットで地図を開き、天守台へ向かっています。
よくわからないまま、道路を渡ります。
その先にある坂を登ります。
名前からして予想はできると思いますが、「時」を知らせる大きな太鼓が置かれていました。その大きな太鼓は直径約1.5m。
はじめは裏御門横に隣接している古時打櫓に置かれていましたが、太鼓の振動で石垣が緩むとの事でこちらへ移されたようです。
どんだけ~
その先には梅園があり、ここは二の丸でした。
本丸表御門
二の丸から本丸へあがる門です。
本丸御殿
玄関だけで32畳ある広い御殿だったそうです。
現在は野球場になっている場所は二の丸御殿と水の手がありました。
そして向かいに見える石垣の上には月見櫓🌙がありました。
小・中天守台
大天守以外にも小・中の天守台がありました。大天守台と小・中天守台を形成する石垣は、本丸を南北に分断しており、小・中天守は南側からの敵の侵入を防ぐためと考えられています。
普段歩かない私には、修行の旅でした…
この日、大野城から降りる時に足のつま先に力がかかったのか、足の爪が紫色になった後に剥がれました
その後…無事新しい爪生えてきましたよ。
生きてる事を実感しました