平手汎秀 終焉地 | 女城主のりりん放浪記

女城主のりりん放浪記

お城めぐり中心のブログです。2019年7月、3回目のカテーテルアブレーションにて心房細動根治しました!
発作の出ない日々は毎日が楽しい
(*´∀`)♪


もうお正月休みが終わってしまいますね。
年が明けてもう5日。早いもんです(*´-`)
5日もたちますが……
今さらですが…



今年初ブログです!!



遅ればせながら、みなさま、
あけましておめでとうございます!



今年もボチボチやりますのでよろしくお願いしますm(_ _)m



年が明けまして、まだ城攻めしていませんが、以前から気になっていた場所へ行ってきました(^^)/



場所はこちらになります。↓


https://maps.app.goo.gl/CdzMB4UvHL2EUCZj8    

グランドホテル浜松の裏側に細い坂道があり、平手汎秀(ひろひで)の墓碑があります。


「坂道」と「平手」というキーワードから、あの坂道グループを連想しますが、特にファンでも何でもありません(^^;

私には坂道グループの子たちは、みんな同じ顔に見えるんです。見分けがつきませんヽ( ̄▽ ̄)ノ





光の加減のせい?私のカメラの腕が悪い?
暗くなってしまいました。
写真を加工して明るくしましたが、これが精一杯です(T_T)




昔はこの石碑の右の空き地に、鳥居があり、平手神社がありました。







石碑には、「平手監物時秀公霊場稲葉山」と書かれています。


はて?(・_・?)
汎秀ではなく、時秀?


なぜそう書かれたのか調べてみましたが、結果、「わからない」です( ̄ー ̄)

一説には、名前間違えたとか?(笑)


平手汎秀は、織田信長の家臣、平手政秀の三男もしくは孫といわれています。

三方ヶ原の戦いには、徳川家康の援軍として、滝川一益、林秀貞、佐久間信盛、水野信元らと共に出陣しました。

敵に追われ、浜松城近くのこの付近に身を隠してした所、咳をしてしまい、敵にみつかったと言い伝えがあります。


平手汎秀は喘息を患っており、死に際に「拙者はこの地にて一命を落とすが、これからは神となり、この土地の民が患う喉の病を治してしんぜよう」と、言い残したという伝説もあり、平手神社に祈ると、喘息、風邪など喉の病気が治ると伝わっています。


しかし、この平手神社は老朽化の為に平成17年(2005年)に取り壊されました。
平成18年(2006年)、墓碑は平手一族の菩提寺である愛知県稲沢市の長福寺に移されました。


平手神社へ続く坂道は、監物坂と呼ばれているそうです。
(知らなかったけど)( ̄ー ̄)



その坂道を撮るのを忘れました(T_T)
Googleマップに助けてもらいます。
南側からの坂です。



あー、うちの長男の喘息も治してもらうんだったーヽ( ̄▽ ̄)ノ





そして、今年は未開発の東北地方のお城を攻める事ができたらいいなと思っています(*´∀`)




昨年は首里城が焼失してしまい、テレビで真っ赤に燃える首里城を見て涙しました。


4年前の年末年始に行こうと思ったんです!
でも、時期が時期だけに、見積り金額を見てあまりの高さに断念(T_T)



いつまでも
あると思うな
「親」と「金」と「城」




を、身をもって知りました。





思い立ったが吉日!をモットーに今年も元気に城攻めに参ろうと思います!

2020年も、よろしくお願いしますm(_ _)m

あ、オリンピックチケット、当たりました(*´∇`*)(長女が)


バレーボール女子、観てきます( 〃▽〃)