一直線といいますか

猪突猛進といいますか

ひとつのことにしか集中できない

なのつくです



取り敢えず

大きなイベントが近々ありまして

それが終わるまで他のことに

手がつけられない私です




気分じゃないので

しばらく何もしないことを選択していました

お仕事もしていませんでした



何もしていないので

意識の閃きもなんもないし

ただ食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活は

平坦で幸福なのですが



わたし

今までコレをちゃんと味わったことが

無かったことに気付きました

"何かしらやっていたから"

"何もしない""付属させない"

生活をただ過ごしたことはなかったし


多分、みんなないと思うんです




不足もない

罪悪感もない

高揚感もない

不幸も幸福も

そもそも比較意識がない


その状態で過ごすと

精神状態は非常に平和なんですよ

荒れる理由がないので


不安も別にないんですよ

他を見ていないので



でもですよ

こうやって振り返って

意識を辿ってみたり

思考を取り戻して考えたりすると


"つまらない"さえ

浮かばない人生って不気味だなぁ

って思ったんです


永遠に白い廊下、道を

無心で歩いている

映像を無感情で見続けている感覚


それだけ


それだけ

それしかなかったんですよ



じゃぁ実際のところ

何かしている時の生活、生き方は

永遠の白い廊下とは違うのかと問うと

実は同じであることに気付きます



普段、激情に呑まれて生きようが

幸福、不幸に生きようが

実は根底は

永遠に白い廊下を歩く映像を観ているのと同じ



人生って全て素が同じ

誰でも彼でも

って何となく感じた時に 


振り返ると人生は平坦にしか見えない


じゃぁ、楽しい人生

幸せな人生

最高な人生を


思考以外で決めているものって何だ?

感じれるものって何だって考えると


今の自分の肉体の

振動数に他ならないと思った


感動した時の心と体の揺れ

喜びを感じる時の心と体の揺れ

体感した時の心の体の揺れ


それがいちばん重要で

記憶は平坦だけれど

振動数は立体的で今


わたし達人間は

何よりも記憶を大事にし

記憶を重視している生き物だけれど


ほんとはその立体的な体感の

揺れこそが大事なのである


それは今にしか感じないことだとした時

永遠の白い廊下を歩く自分を観ている感覚が

これである

って感覚に変わる


これである。って感覚って

重いなぁって感じる

今のこの自分の全てが

一生の全てで全部の全てであるって認識は

すごい緊張感が漂うような感じ


まだその感覚は薄いんだけどね

泣きそうになったわ



今、この記事を書いているわたしの意識は

自由にどこにでも行きたかったし

自由に何にでもなりたかった

自由に超能力だって使いたかった


でも、この私の意識は

今ここから離れることも外れることもない

言ってしまえばここに囚われ続ける意識だ

そうじゃない私ではないものなのだ


他には何もない

だからこそコレがココが今が私の自覚

得る必要のあるものは何もない


じゃぁ、何でもない

今の私の意識を見続ければいいだけなんだ




と、そんな結論

だいぶ結論はシンプルになるんだね