ゼロ・トレランスに抗するには

東京都では校則違反の生徒を指導するために全都立高校に統一生活指導基準を導入すると発表している。これはゼロ・トレランス(寛容さなしの指導)の導入ではないだろうか。   いま、厳しい生活指導は、多くの父母に支持されているしたがって、ゼロ・トレランス指導を父母の賛同を得るかもしれない。しかし、この指導をきめ細かくより効果的にするためにプログレッシブディシプリン(累積的規律指導)がとられる。これは、たとえば、授業中に私語したり席を立ったりすると注意するなどごく軽い罰を与える。そのことは、どこでも行われている日常的指導だが、その指導を指導カードに記入するところが異なる。やがて指導カードが累積され父母召喚、停学へと機械的に指導が行われる。ある意味効率的に指導ができ教師は指導の煩わしさから解放される。しかし、それは人間がかかわる教育的指導ではなく単なる「事務処理化」することでもある。これは教育なのだろうか。

一般に、特に父母にとって学校での生徒指導は見えているようで見えないのではしょうか。停学などの「法律上の懲戒」と日常的に行われている叱ったり、怒鳴りつけたりする「事実上の懲戒」との差異、「生徒指導」と「生活指導」では違うのか、同じなのか、また、そのような問題が裁判などではどのように判断されているのか等々いろいろあると思います。

 文部科学省は、今回、全国の公立小学校、中学校、高等学校に『生徒指導提要』(20103)という冊子を配布し、生徒指導の基準を提示しました。そこでは、今後、どのような生徒指導を示唆しているのか。

『生徒指導提要』第7章第2節3に「懲戒の手続」の項があり、「学校では、これらの既に定められた規則等の要件を踏まえ、懲戒を行うかどうかを判断し、適正な手続きを経るように努める必要があります」とあります。最後の「ように努める必要があります」という表現が引っかかります。ここは「ように努める」の6文字を省き、「必要があります」とすべきだったと思いますが、いかがでしょうか。

【生徒指導提要】では、叱責したり、起立や居残りを命じたりするなどの「事実行為としての懲戒」と退学、停学、出席停止などの「法的効果を伴う懲戒」があり、「退学は、児童生徒の教育を受ける権利を奪うものであり、出席停止や停学は、権利を一定期間停止するものです、とし説明しています。このように、退学は「権利を奪い」、出席停止、停学は「権利を停止」する措置です。したがって当然ですが、叱責したり、起立や居残りを命じたりする「事実行為としての懲戒」とは根本的に異なります。

 小・中学生に適用される出席停止の根拠法は、学校教育法三五条で、「保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる」と規定していますし、高校生に適用される退学、停学、訓告は、学校教育法施行規則第13条に規定されており、「校長がこれを行う」と規定しています。

児童生徒は、このような法に基づいて行われる「法的効果を伴う懲戒」には、強制的に従うことになります。したがって、そのような措置が行われる場合には正しい判断が求められますから、プロセスが公正でなければなりません。不公正なプロセスから公正な結果を生むことはないでしょう。したがって、児童生徒は、公正な聴聞を受ける、処分理由が明確に説明される、充分な弁明の機会が保証される、などの適正手続きが必要になります。

 その際、生徒の意志や利益へ充分な配慮を欠いた誠意のない方法でなされた決定は適正手続き上違法になります。このことは、少しオーバーと思われるかも知れませんが憲法31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」で保障されているのです。

【生徒指導提要】では、第6章Ⅱ第2節(160P)で適正手続きについ説明していますのでそちらを参照していただくことになりますが、その中の「(4)保護者への説明と適正な手続」でつぎのように述べています。「問題行動の指導にあたっては、保護者に対して、問題行動の事実関係、問題行動に至った経過、背景、問題行動に対する特別な指導内容などについて十分に説明し、理解を求めておくことが大切です。事実関係や指導内容・方法に保護者が不満を持っている場合などもあります。保護者に、反論や弁明の機会を与え、十分にその意見を聴かなければなりません。そして、児童生徒がよりよい充実した学校生活を送るために、学校、家庭が何をすべきか、どのようにすべきかともに考え、それぞれの役割を果たしていくことが大切です。」

このように、児童生徒は当然ですが、保護者への対応も重要です。さらに、現在の裁判では、裁判員制度によって、ひろく一般市民も判断に加わっています。このようなことから考えれば、退学のような懲戒の決定には生徒会代表や、PTA代表などの参加も検討される必要があるでしょう。

保護者の監護責任 柿沼昌芳

 親が監督義務を怠ったとき

 「ボコツちゃおうか」

 その日は「文化の日」で学校は休みだった。A君とPは、昼ころからPの家でテレビゲーム等をして遊んでいた。午後1時過ぎに、Xから電話がり、鼻にピアスの穴を開ける方法を聞かれたが、また、すぐにXから電話があり家にQもいるので遊びに来てピアスの穴の開け方を教えてくれるよう頼まれた。

 A君は、Pから、Xの家に行くことにしたから一緒に付き合ってくれ、友だちのQもいるからといわれ、一緒にXの家に行くことにした。

 Pは、Xの家に行くのが初めてだったので電話で目印を聞き、そこから携帯電話に電話するこにし、A君と2人で自転車で向かったが、途中の目印の場所まで着いたときに、PがXの携帯電話の番号を書いたメモ紙を家に忘れてきたことに気が付き、A君にメモ紙を取ってきてもらい、公衆電話からXに電話をかけ場所を聞きながら、Xの家にたどり着いた。

 Xの家でPとQとA君でピアスの話をしたり、世間話をしたりしていたが、しばらくして、ジュースを買ってこようということになり、その際にPが財布を公衆電話に置き忘れてきたことに気が付いた。そこで、日頃から使い走りにしているA君に、公衆電話の所へ行き財布を取ってくるように言い、A君は、しぶしぶ財布を取りに行った。

 A君が財布を取りに出るや、Xが、A君が同じ歳なのに敬語を使っていることなどについて不満をいい、「ムカック奴だ」ということになり、「調子こいている感じだね」、「ボコツちゃおうか」ということになった。

 そこで、Xは、仲間を集めることにし、同じ中学の友人であったYに電話をかけ「Aって奴が生意気な野郎で、外に連れて行ってボコボコにするから手伝つてくれないか。」と誘った。その時、Yは家でWと遊んでいたが、おもしろそうだと考え、一緒に誘いに乗り、集団暴行に参加することにした。

5名の間で、A君に対する集団暴行の合意が成立した後、なにも知らないA君がPの財布を持って帰ってきた。3人は、今、合意したことを秘し、A君に、これから外に出かけるからといい、午後5時ころ4人で出かけ、Y、Zと「ホテル石庭」の前で合流した。その後、A君と5人は、花和田公園に向かった。

 

  5人での寄って集って

 午後6時ころ、花和田公園に着いた。すると他の少年らから少し離れたところで、XがA君に、Yを見ながら「あいつに唾はくなって言えよ」と言い、いきなりA君の顔面を手拳で一回殴打した。A君は、いきなり殴られたことから驚き、Xの言うことを聞かなければさらに暴行を加えられるのではと恐れ、Yに対し、Xに命令されたとおり、「唾をはくんじゃねえよ」と言った。

 これを聞いたYは「何だこの野郎」と怒鳴り、近くにあった自分の自転車をA君に投げつけた。A君は、投げつけられた自転車に当たり、その場に転んだ。これをきっかけにしA君の顔を殴ったり、足や腰を蹴ったり、倒れ込んだ原告の服を引っ張りって無理矢理立たせた上、さらに顔を殴るなど、殴る蹴るの暴行を約二〇分続いたが、A君は、この間、全く抵抗できなかった。

しばらくして、Xが花和田公園の隣に先輩の家があることに気が付き、近くの香取神社に行くことにした。香取神社でも同じように殴る蹴るの暴行を続けた。

 この暴行でA君は、加療約四週間を要する顔面打撲、右肩峰骨折、胸部打撲、腰部打撲、両下肢打撲の傷害を負った。

 暴行が終った後、少年ら5人は、A君の顔が酷く腫れあがっていることに気づき、このままでは暴行が発覚してしまうものと考え、香取神社近くの自動販売機の前で、A君の服の汚れを落としたりしながら、言い訳をどうするか話し合つた。

 その結果、A君が南越谷でからまれて暴行を受けたことにしようということになり、少年ら5人は、A君に対し、その旨言い含め、それぞれ帰宅した。帰宅したAを見た母親は、顔の腫れを見て、どうしたのか問いつめた。はじめ、少年ら5人の指示通り、南越谷で集団にからまれて暴行を受けたと説明したが、母親はそれに納得せず、事情を聞くためにPの家に電話をし、さらにPを自宅に呼んで事情を聞き、暴行事件が発覚した。A君は、その日に警察へ被害届を提出した。

                                        

 子ども同士の喧嘩にすぎない

 この事件以前から、同じ中学のP、QはA君に対し、ジーパン等の万引きを強要したり、学校の休み時間に菓子等を買ってくるよう強要したり、A君から何回も現金を恐喝するなどしていじめていたが、これらに対してA君は、いじめ暴行した生徒の保護者に対して、殴る蹴るの暴行を加え、いじめを行っていることを知りながら、保護者として自分の子どもたちを十分な監督をせずに放置したのであるから、民法709条に基づき、A君が被った損害を賠償する責任があるとし、それぞれに500万円の損害賠償を請求した。

 これに対し、この暴行事件の原因について、暴行に加わった少年の保護者たち(被告)は、A君が少年ら5名に対し、人をばかにしたようなおかしな敬語を使ったことにあり、このことから、口論になり、暴行事件に発展したものである。したがって、子どもたちの一回限りの喧嘩にすぎない、と主張した。

 それに対して裁判所は<<事件は終始一貫して少年ら5名が原告に対して一方的に暴行を加えたものであり、その暴行を加えた時間、暴行の態様、回数からしても、到底、子供同士の喧嘩と評価できるものではない。……少年ら五名の共謀による原告に対する本件暴行行為は、極めて悪質かつ執拗であり、原告に生じた傷害の結果も重大であるといわざるを得ない。>>と判示している。(さいたま地判2003.6.27『判例時報』1849号)

  親の監督責任

 このような事件で裁判所は5人の子どもたちの親の監督責任について、次のように判断している。

 まず、Pの父母は、学校から呼び出されて、喫煙行為など校則違反の事実を告げられ、一応は注意をするものの、基本的には放任状態であり、Pの不合理な言い訳でも、子の言うことだからといって、それをそのまま信じてしまうなど極めて監督不十分な状態であった。また、Pの母親は、粗暴な面があることを認識していた。実際、Pは、父母からの注意を受けた後も、喫煙をやめることはせず、ピアスも親に隠れて付けているなど生活態度の改善は見られなかった。

 次ぎにQの父母は、たばこを吸つていたことさえ全く把捉しておらず、当然、注意をすることもなかった。また、そのほかの生活全般に対する躾も甘く、原告(A君)に対する万引の強要が発覚した後も、原告が自らの判断で万引をしていたというQの不合理な弁解をそのまま信じるなど、監督は不十分なものであった。

 Xの父母については、その都度、注意をするものの、その注意の仕方は必ずしも適切とはいえず、Xの非行傾向は改まることはなく、結局、監督は不十分で放任状態に等しいものであった。

 Yの父母は、Xたちと、自宅を溜まり場にしているにもかかわらず、特投の注意もせずにこれを放置するなど、子に対する監督は極めて不十分であつた。

 Zの父母は、Zがたばこを吸つているかもしれないと認識していながら、その確認もせず、Xをリーダーとする不良グループとの交友関係についても特段注意を払わず、放任状態にあった。

 など保護者の監督責任を指摘している。

暴力行為に走ることは予見できた

 

 そして裁判所は<<被告らは、それぞれ少年ら五名の親権者であり、それぞれの子を監督し、教育すべき義務を負っているものというべきである。少年ら五名には、いずれも本件暴行事件より以前から、喫煙、ピアスの着用、粗暴な行為、不良グループの結成等の問題行動が生じていたところ、被告らはこれを認識し、又は認識すべきであったから、少年ら五名が、早晩弱者に対するいじめや暴力行為等に及ぶことをも十分に予見し得たものといえる。それにもかかわらず、被告らは、いずれもその子に対する監督教育等に特段の努力をせずこれを放置し、少年ら五名の問題行動を解消きせようとはしなかった。そのため、少年ら5名の非行傾向は深刻化し、原告に対する本件いじめ行為及び本件暴行事件を惹起きせるに至ったものというべきである。/したがって、被告らには、各少年らに対する監督義務を怠った過失があり、これと少年ら五名によって惹起された本件暴行事件により原告に生じた権利侵害の結果との間には因果関係があるというべきであるから、被告らは、民法709条、719条に基づく不法行為責任を負うものというべきである。>>として、PとQの父母には400万円、X、Y、Zの父母に対しては連帯して300万円の損害賠償支払いを命じている。

*第七〇九条 故意又ハ過失二因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス

*第七一九粂 数人カ共同ノ不法行為ニ因リテ他人ニ損害ヲ加ヘタルトキハ各自連帯ニテ其賠償ノ責ニ任ス共同行為者中ノ●レカ共損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ亦同シ

② 教唆者及ヒ幇助者ハ之ヲ共同行為者卜看●ス

父性の欠如が要因か

裁判という場では教師か保護者かいずれかの責任を問うということで終わる。しかし、このように保護者に責任を課しただけでは解決しないことは周知のことであるし、この裁判の判断は、次のような指摘と接続してしまう。

「昨今、家庭教育の欠如が原因と見られる子供の問題行動が増大している。犯罪者の家庭状況を調べてみると、必ずといっていいほど家庭に問題があり、母性も父性も欠如していたことが明らかとなっている。また心の病になった者の生育歴を調べてみると、母性か父性に問題があったことが明らかになる場合が圧倒的に多い。」そして、「服装・言葉や礼節の乱れはいうに及ばず、不登校や閉じこもり、フリーターの氾濫も同様に父性の欠如に原因がある。万引きや窃盗、ひったくりなどの日常の場における青少年犯罪急増の背景には、単に『友達』のようであればいいとして善悪のけじめを教えなかった『物わかりのいい』父親たちが見え隠れしている。」(*)

 しかし、父親が厳しく指導していればこのような事件を起こす子どもは育たなかったのだろうか。問題はそのように単純ではない、今必要なことは、学校だけではなく学校外の機関が、このような子どもの指導に積極的の関わることではないだろうか。

 林道義「家庭の価値と家庭教育の意義」『なぜ今教育基本法改正か』(「日本の教育を改革」有識者懇談会編・PHP研究所2004.6.28

 親・生徒に訴えられる教師たち 柿沼昌芳

  戦後、教育裁判は、「勤評裁判」、「教科書裁判」、「学力テスト裁判」など国や教育行政を相手に争われる裁判が主流だった。その後、部活のなどでの「学校事故裁判」、さらに「校則裁判」、「体罰裁判」、「いじめ裁判」など学校を被告として争われる裁判、いわゆる「学校裁判」が多発した。その中では、教師の指導責任が問われ、安全配慮義務が問われている。このように、今日、教育裁判は、いわゆる「学校裁判」が主流になり、そこでは、親が教師の過失を問うことにが主な争点になっている。

 これまで、主には理論的に教師の教育権が指摘され、それに呼応して親の教育権がいわれた。教師の教育権は、一応、確立し、時には、それが「権力」化していることもある。他方で親の教育権は、理論上は、さまざま展開されてはいるが、とくにPTAの空洞化などによって、その実質は不透明のまま今日に至っている。

 近時、学校に対する親のクレーム的発言が問題化しているが、この基底に親の教育権の実質的不在があって、そのことが、今、裁判という場を通して学校、そして教師に親としての教育要求を迫っているとも考えられる。したがって、今日の多くの「学校裁判」を教師の教育権と親の教育権の衝突と見ることができる。

このような視点立って今日の裁判事例をいくつか見ることにしよう。

① 横浜市立中学校の生徒、A子さん(姉)とB君(弟)と両親が横浜市に対し国家賠償法一条一項に基づいて損害賠償を請求した事件である。訴えた内容は、姉のA子さんが、所属していた剣道部で顧問教師に腰部を蹴られて受傷した「剣道部事件」、やはりA子さんが授業中に国語の教師から宿題の書き初めにコメントされたときに「やくざ」と言われた「書き初め事件」、その後、頬に切り傷のある似顔絵が掲載された卒業文集を全校生徒に配布された「文集事件」、弟のB君が放課後、公園に集まった同級生たち六人から、「対戦」と称して集団暴行(いじめ)を受け受傷した「『対戦』事件」などである。

 このうち「『対戦』事件」については、いじめではなく子どもたちのルールの定められた遊戯と認めて、横浜地裁も東京高裁も横浜市に対する請求を棄却している。「剣道部事件」は、剣道部の部活動中、A子さんが友人に「ああ疲れた、私も年ね」と話をしていたところに、顧問教師が「何言っているんだ、まだ若いくせに」とA子さんの背後から、稽古着、垂れを着用した上から腰の辺りを一回蹴った。顧問教師は、親しみを込めて、冗談に突っ込みを入れるという感じで、軽く蹴ったと主張し、裁判所も認めるているが、A子さんは、「そんなに弱くはなくて、だからといってそう強くもなかったという感じです。でもバランスを崩すくらい強かった。」と主張した。これに対して裁判所は、冗談に突っ込みを入れる気持、親しみを込める気持であったとしても、教師が生徒を背後から突然痛みを感じるような強さで蹴りつけることは違法な有形力の行使である暴行に該当すると横浜地裁も東京高裁も判断している。

 ② 次に、PTA広報に書いた挨拶文に対して母親から校長に抗議の電話があった。挨拶文を書いたA先生は、横浜市立中学校に赴任し一年三組の担任教諭に着任したが、一年三組は特別支援学級で生徒はダウン症候群の既往を持っ甲野君一人であった。その挨拶文は、次のような内容だった。

 五月になって大分、甲野君とは親しくできる様になりました。基本的には日常の基本的な生活動作や体力づくりをがんばっていきたいと思っています。一年生との交流も徐々にやって行きたいと思いますのでよろしく !! 私もどちらかというと「いじめっ子」なので、結構テニス部ではからかっていますが、かなり平気のようです。テニスはがんばっている様です。美術というより工芸もしたいのですが、とにかくこの学校ではまだできる場がありません。陶芸もやりたいなー!!

 甲野君の母親は、挨拶文が、プライパシーを侵害し甲野君を著しく傷つけたとして裁判に訴えた。

 これに対して裁判所は、挨拶文の内容から、PTA会員などの読者は、甲野君が日常の基本的な生活動作ができないほど能力の劣った生徒であるとの印象を抱くものと認められ、これによって、甲野君の能力についての社会的評価を低下させるから、名誉を毀損するとし、個別支援学級である一年三組に在籍していることという事が知られプライパシー侵害されたとと判示している。

 ③ もう一つは、保護者が主催して「卒業を祝う会」が三月二一日に予定され、保護者からの積立金で参加者にケーキとジュースを出し、先生には花束を贈呈する計画であった。ところが、一四日になって、重度のアレルギー症に罹患していたA君の母親から校長に積立金でケーキとジュースを支出することは納得できないと厳しい抗議を受けたので、校長は中止することにした。

 その日の昼休みに校長は生徒を全校放送で、「一人でも食べられない友達がいるのに、お茶菓子を食べるというのはどうだろうか。もし自分がその立場、だったら、楽しいだろうか。よく考えてみてください。飲食物がなくたって、みんなの協力でいくらでも楽しい会にすることはできるんじゃないだろうか。そういう会をみんなで作っていけばいいと思う。食べることがこの会の目的ではないからね。今回は飲食物は出きない方向で考えていきたいと思います。」と話した。

 その後、保護者からこどもたちが納得しないので理由を説明し子どもたちを納得させて欲しいという申出が多数あったので、翌日、再び生徒を集め、今度は副校長が飲食物がなくても楽しい会ができるはずだし、教師らへの感謝の念は十分汲み取れるし、せっかく完成したばかりの多目的ホールのカーペットを飲食物で汚れると困る。それに、もし食中毒でもなったれもっと大変だ。それにご両親たちの積立金を使って先生が花束を受け取ることもできないし気持ちだけで充分だ、などと話した。

 生徒たちは納得しなかったが、「卒業を祝う会」では飲食物は出されず花束の贈呈も行われなかった。 

 ところが、今度は、A君の母親からは校長の生徒への説明で、子どもたちとその保護者が、飲食物が出されなかったのはA君が原因だと知り、自分のアレルギーを理由に飲食を伴う行事に参加することを渋ったり、飲食を伴う行事自体に文句を言ったりする生徒という評価を受けるようになり、いじめを受けている。その原因は、管理職の対応が不味かったからだと抗議がなされ、提訴された。

 それに対して裁判所は、このように校長、副校長の発言には教育的配慮がなく、A君に精神的苦痛を味遭わせ、名誉を毀損したし、食物アレルギーであることに触れないでそっとしておいて欲しいと思っていたのに、結果的に学校中に知れてしまったということからプライバシーを侵害したと判示している。