保護者の監護責任 柿沼昌芳
親が監督義務を怠ったとき
「ボコツちゃおうか」
その日は「文化の日」で学校は休みだった。A君とPは、昼ころからPの家でテレビゲーム等をして遊んでいた。午後1時過ぎに、Xから電話がり、鼻にピアスの穴を開ける方法を聞かれたが、また、すぐにXから電話があり家にQもいるので遊びに来てピアスの穴の開け方を教えてくれるよう頼まれた。
A君は、Pから、Xの家に行くことにしたから一緒に付き合ってくれ、友だちのQもいるからといわれ、一緒にXの家に行くことにした。
Pは、Xの家に行くのが初めてだったので電話で目印を聞き、そこから携帯電話に電話するこにし、A君と2人で自転車で向かったが、途中の目印の場所まで着いたときに、PがXの携帯電話の番号を書いたメモ紙を家に忘れてきたことに気が付き、A君にメモ紙を取ってきてもらい、公衆電話からXに電話をかけ場所を聞きながら、Xの家にたどり着いた。
Xの家でPとQとA君でピアスの話をしたり、世間話をしたりしていたが、しばらくして、ジュースを買ってこようということになり、その際にPが財布を公衆電話に置き忘れてきたことに気が付いた。そこで、日頃から使い走りにしているA君に、公衆電話の所へ行き財布を取ってくるように言い、A君は、しぶしぶ財布を取りに行った。
A君が財布を取りに出るや、Xが、A君が同じ歳なのに敬語を使っていることなどについて不満をいい、「ムカック奴だ」ということになり、「調子こいている感じだね」、「ボコツちゃおうか」ということになった。
そこで、Xは、仲間を集めることにし、同じ中学の友人であったYに電話をかけ「Aって奴が生意気な野郎で、外に連れて行ってボコボコにするから手伝つてくれないか。」と誘った。その時、Yは家でWと遊んでいたが、おもしろそうだと考え、一緒に誘いに乗り、集団暴行に参加することにした。
5名の間で、A君に対する集団暴行の合意が成立した後、なにも知らないA君がPの財布を持って帰ってきた。3人は、今、合意したことを秘し、A君に、これから外に出かけるからといい、午後5時ころ4人で出かけ、Y、Zと「ホテル石庭」の前で合流した。その後、A君と5人は、花和田公園に向かった。
5人での寄って集って
午後6時ころ、花和田公園に着いた。すると他の少年らから少し離れたところで、XがA君に、Yを見ながら「あいつに唾はくなって言えよ」と言い、いきなりA君の顔面を手拳で一回殴打した。A君は、いきなり殴られたことから驚き、Xの言うことを聞かなければさらに暴行を加えられるのではと恐れ、Yに対し、Xに命令されたとおり、「唾をはくんじゃねえよ」と言った。
これを聞いたYは「何だこの野郎」と怒鳴り、近くにあった自分の自転車をA君に投げつけた。A君は、投げつけられた自転車に当たり、その場に転んだ。これをきっかけにしA君の顔を殴ったり、足や腰を蹴ったり、倒れ込んだ原告の服を引っ張りって無理矢理立たせた上、さらに顔を殴るなど、殴る蹴るの暴行を約二〇分続いたが、A君は、この間、全く抵抗できなかった。
しばらくして、Xが花和田公園の隣に先輩の家があることに気が付き、近くの香取神社に行くことにした。香取神社でも同じように殴る蹴るの暴行を続けた。
この暴行でA君は、加療約四週間を要する顔面打撲、右肩峰骨折、胸部打撲、腰部打撲、両下肢打撲の傷害を負った。
暴行が終った後、少年ら5人は、A君の顔が酷く腫れあがっていることに気づき、このままでは暴行が発覚してしまうものと考え、香取神社近くの自動販売機の前で、A君の服の汚れを落としたりしながら、言い訳をどうするか話し合つた。
その結果、A君が南越谷でからまれて暴行を受けたことにしようということになり、少年ら5人は、A君に対し、その旨言い含め、それぞれ帰宅した。帰宅したAを見た母親は、顔の腫れを見て、どうしたのか問いつめた。はじめ、少年ら5人の指示通り、南越谷で集団にからまれて暴行を受けたと説明したが、母親はそれに納得せず、事情を聞くためにPの家に電話をし、さらにPを自宅に呼んで事情を聞き、暴行事件が発覚した。A君は、その日に警察へ被害届を提出した。
子ども同士の喧嘩にすぎない
この事件以前から、同じ中学のP、QはA君に対し、ジーパン等の万引きを強要したり、学校の休み時間に菓子等を買ってくるよう強要したり、A君から何回も現金を恐喝するなどしていじめていたが、これらに対してA君は、いじめ暴行した生徒の保護者に対して、殴る蹴るの暴行を加え、いじめを行っていることを知りながら、保護者として自分の子どもたちを十分な監督をせずに放置したのであるから、民法709条に基づき、A君が被った損害を賠償する責任があるとし、それぞれに500万円の損害賠償を請求した。
これに対し、この暴行事件の原因について、暴行に加わった少年の保護者たち(被告)は、A君が少年ら5名に対し、人をばかにしたようなおかしな敬語を使ったことにあり、このことから、口論になり、暴行事件に発展したものである。したがって、子どもたちの一回限りの喧嘩にすぎない、と主張した。
それに対して裁判所は<<事件は終始一貫して少年ら5名が原告に対して一方的に暴行を加えたものであり、その暴行を加えた時間、暴行の態様、回数からしても、到底、子供同士の喧嘩と評価できるものではない。……少年ら五名の共謀による原告に対する本件暴行行為は、極めて悪質かつ執拗であり、原告に生じた傷害の結果も重大であるといわざるを得ない。>>と判示している。(さいたま地判2003.6.27『判例時報』1849号)
親の監督責任
このような事件で裁判所は5人の子どもたちの親の監督責任について、次のように判断している。
まず、Pの父母は、学校から呼び出されて、喫煙行為など校則違反の事実を告げられ、一応は注意をするものの、基本的には放任状態であり、Pの不合理な言い訳でも、子の言うことだからといって、それをそのまま信じてしまうなど極めて監督不十分な状態であった。また、Pの母親は、粗暴な面があることを認識していた。実際、Pは、父母からの注意を受けた後も、喫煙をやめることはせず、ピアスも親に隠れて付けているなど生活態度の改善は見られなかった。
次ぎにQの父母は、たばこを吸つていたことさえ全く把捉しておらず、当然、注意をすることもなかった。また、そのほかの生活全般に対する躾も甘く、原告(A君)に対する万引の強要が発覚した後も、原告が自らの判断で万引をしていたというQの不合理な弁解をそのまま信じるなど、監督は不十分なものであった。
Xの父母については、その都度、注意をするものの、その注意の仕方は必ずしも適切とはいえず、Xの非行傾向は改まることはなく、結局、監督は不十分で放任状態に等しいものであった。
Yの父母は、Xたちと、自宅を溜まり場にしているにもかかわらず、特投の注意もせずにこれを放置するなど、子に対する監督は極めて不十分であつた。
Zの父母は、Zがたばこを吸つているかもしれないと認識していながら、その確認もせず、Xをリーダーとする不良グループとの交友関係についても特段注意を払わず、放任状態にあった。
など保護者の監督責任を指摘している。
暴力行為に走ることは予見できた
そして裁判所は<<被告らは、それぞれ少年ら五名の親権者であり、それぞれの子を監督し、教育すべき義務を負っているものというべきである。少年ら五名には、いずれも本件暴行事件より以前から、喫煙、ピアスの着用、粗暴な行為、不良グループの結成等の問題行動が生じていたところ、被告らはこれを認識し、又は認識すべきであったから、少年ら五名が、早晩弱者に対するいじめや暴力行為等に及ぶことをも十分に予見し得たものといえる。それにもかかわらず、被告らは、いずれもその子に対する監督教育等に特段の努力をせずこれを放置し、少年ら五名の問題行動を解消きせようとはしなかった。そのため、少年ら5名の非行傾向は深刻化し、原告に対する本件いじめ行為及び本件暴行事件を惹起きせるに至ったものというべきである。/したがって、被告らには、各少年らに対する監督義務を怠った過失があり、これと少年ら五名によって惹起された本件暴行事件により原告に生じた権利侵害の結果との間には因果関係があるというべきであるから、被告らは、民法709条、719条に基づく不法行為責任を負うものというべきである。>>として、PとQの父母には400万円、X、Y、Zの父母に対しては連帯して300万円の損害賠償支払いを命じている。
*第七〇九条 故意又ハ過失二因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス
*第七一九粂 数人カ共同ノ不法行為ニ因リテ他人ニ損害ヲ加ヘタルトキハ各自連帯ニテ其賠償ノ責ニ任ス共同行為者中ノ●レカ共損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ亦同シ
② 教唆者及ヒ幇助者ハ之ヲ共同行為者卜看●ス
父性の欠如が要因か
裁判という場では教師か保護者かいずれかの責任を問うということで終わる。しかし、このように保護者に責任を課しただけでは解決しないことは周知のことであるし、この裁判の判断は、次のような指摘と接続してしまう。
「昨今、家庭教育の欠如が原因と見られる子供の問題行動が増大している。犯罪者の家庭状況を調べてみると、必ずといっていいほど家庭に問題があり、母性も父性も欠如していたことが明らかとなっている。また心の病になった者の生育歴を調べてみると、母性か父性に問題があったことが明らかになる場合が圧倒的に多い。」そして、「服装・言葉や礼節の乱れはいうに及ばず、不登校や閉じこもり、フリーターの氾濫も同様に父性の欠如に原因がある。万引きや窃盗、ひったくりなどの日常の場における青少年犯罪急増の背景には、単に『友達』のようであればいいとして善悪のけじめを教えなかった『物わかりのいい』父親たちが見え隠れしている。」(*)
しかし、父親が厳しく指導していればこのような事件を起こす子どもは育たなかったのだろうか。問題はそのように単純ではない、今必要なことは、学校だけではなく学校外の機関が、このような子どもの指導に積極的の関わることではないだろうか。
* 林道義「家庭の価値と家庭教育の意義」『なぜ今教育基本法改正か』(「日本の教育を改革」有識者懇談会編・PHP研究所2004.6.28)